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24. 自由への扉を自分の力で開いていく人。映画「TOVE/トーベ」を鑑賞。


忘れないうちに映画のことを記録しようと思う。
先週、トーベ・ヤンソンの若い頃に光をあてた、「TOVE/トーベ」を観た。

1944年ヘルシンキ。戦争中、防空壕の中でおびえるシーンから始まる。映画はムーミンを生み出した創作のプロセスやアイデアを描いたものではない。ある意味、ドキュメンタリー的であるけれど。トーベ・ヤンソンの孤独や焦躁感に焦点をあてる。

それでも、というべきか。どの角度から、シーンから切り取っても、トーベ・ヤンソンは才能のある人だなあと唸らざるを得ない。全身イマジネーションの妖精みたい。いつも、どんな時にも、なにかを描いている。

描いていない時も、ずっとアタマの中に物語や映像が、ぐるぐる回り、それらを手でかたちにしていかずには、いられない。そういう根っからのアーティストだ。

ある意味、疲れることだろうな、と思う。
魂を癒やされたい、穏やかに休みたい時もあるだろう。
ただトーベは、舞台演出家のヴィヴィカ・バンドラー(女性)に、その気持ちを求めてしまう。これまで感じたことがない心の震えを覚えてしまう。「龍のような愛された方をした」などという比喩も。

一つのエピソードを掘り下げていくというよりは、次々にページが開かれていく童話のようなつくりかたで、魅せていく映画だ。とてもスピーディーな展開によって。

わたしは、トーベ・ヤンソンの短編集を(2冊)持っていて、「猿」と「時間の感覚」などが好きなのだけど、「猿」では彫刻家が主人公で、すごくユーモラスに、例えば、そう美術界や批評家について「こんちくしょうのクソッタレ」と罵倒しながら、猿と人生を冒険するように生きている。つまりここでは書き手が彫刻家を愛すべく存在として視る、まなざしがとても優しい。

(彫刻家のモデルは父か、あるいは一部分は自分自身か!)

映画の中では、彫刻家はトーベの創作世界を認めようとしない厳格な父として登場、でもムーミンについての新聞の切り抜きは全てファイルしていた、などのエピソードを終盤に織り交ぜ、ほろりとさせる。
こういったトーベと両親との関係についても垣間みられて(短編の構想のタネ明かしを視るようで)面白かった。


トーベ・ヤンソンは、ムーミンの絵画とストーリーだけでなく、小説家、劇作家、児童文学者など、創作においても枠にとらわれない生き方をしてきた。恋愛もそうだ。描くものも、勿論だ。こうしたトーベのどんどん自由を広げていく生き方は、こうでなくてはならないと凝り固まっていこうとする現代人を大いに刺激するだろうと思う。

わたしも、室内でダンスをするトーベが大好き。日本のアニメだけでなく、いつかフィンランドのムーミンを原画で観てみたい。


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