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10. 物語の外と内を旅する贅沢なしあわせ


確かに、ぼんやりとしたところがあると思う。

「あなたは浮世離れしているところのある人だから」家人は、わたしのことを、こう比喩する。そういえば、付き合いはじめた頃から、隣のシートに座ってドライブしながら、別の時間と空間のなかに身を置いているようなことが、なかったとはいえない(笑)。

ただ。ここで書こうとしているのは、わたしの浮世離れの話しではない。
いつか読んだ物語と、いまを、行ったり来たりする旅の享楽について書いてみたいと思う。特別な話じゃあない、誰でもおかしな癖のひとつやふたつは、あるものだ。

 ※

初めて、イを訪れたのは娘のNが幼稚園のとき。だから、20年以上前にさかのぼる。たぶん、片言の日本語で「まあま、お腹すいた」と言えたのか、言えなかったのかくらい。タイ航空で飛び、バンコク市内のホテルに4泊した。

船上マーケットやエメラルド寺院、アユタヤの遺跡、ローズガーデンで伝統舞踊もみて、象の背中にも乗った。象の背中は、とげとげの固い毛で覆われていることを知ったショックは、いっそう衝撃的だった。
「さ、次はどこへ行こうか!」 
「だから、チャオプラヤー川のほとりにある、ザ・オリエンタル・バンコク(旧名)で、運河(クローン)をみたいの」
わたしの決意は、出発前のそれと全く変わらない。同じ言葉を飛行機の中でも繰りかえし、ファミリー連れの旅であっても一歩も譲らなかった。

「行ってどうするの?」

おそらく、何度言われたか知れなかったが、相手も根負けして、町のタクシーを拾ってホテルへたどり着いたのは、もう夕方近かったはずだ。

広くはない、シンプルなロビー。西からさすギラつく太陽を微塵も感じさせない清閑としてよい空間だった。調度品のライトの当たり具合が、ホテルの風格を物語っていた。向かったのはプールサイドに近いテラスだ。

白いテーブルと椅子を片付けていたレストランのチーフが、真っ白な歯で笑う、親しみを込めた挨拶。ああ、ここは「微笑みの国だった」と知った。
屋外に配したテーブルや椅子は、一様にクローンに面して配されている。空の青を写して碧色が粘土のようなかたさで、ゆったりと右から左へ波立って流れていた。プラスチックの容器やビニール袋の破れたものに混じって、本当に死体がぷかぷか浮いていそうで、ゾクッとした。そうして作家・森瑶子の筆力を回想し、「ホテルオリエンタル」「ホテルストーリー」の世界と眼前を比べてみる。ほんの3分に満たない快感がはしる。やっと来られた!

クローンを過ぎる船をみながら、わたしは、生コリアンダーが刻んで混ぜ込んである切り身魚の入った朝粥を、額に汗しながら食べる白いワンピースの女を同時にみることになる。もう陽が落ちていこうとしているのに。
十分に満足したわたしは、勿論、タイのジムトンプソンのロングスカートと、札入れを買ったのはゆうまでもない。


また、ある時は、12月の奄美大島だった。

切り立った山道をトレッキングし、肩ではぁはぁと息を吐いて歩きながら、日本の原生林の祖先というシダ植物の圧倒される緑の力にやられていた。癒やし、という言葉をとうに超して、繁殖しようとする菌にも似た生命力が漲っている。わたしはそういうものを感じながら、確か雑誌「和楽」で書かれていた篠田節子の随筆。奄美のマングローブをカヤックで滑る情景を思い出しているのだ。


そうやって、作家の紡いだ物語とともに、外の世界を探訪すること。旅先だから、いい気分で酔っている、のかもしれない。けれど、わたしが視るただ一つの豊満すぎる景色は、魔力のように心を焦がす。


コロナ禍になってからは、マスクで顔を覆い緊張しながら、年に2・3度は仕事や所用で東京を訪れる。足がむくのはやっぱり銀座だ。伊東屋文具店の前を歩きながら、ふとトレンチコートの裾をひるがえして手袋をさがしている向田邦子を見たような気がして、せつない気持ちに駆られた。
デパ地下の惣菜売り場の一角にも、向田邦子は、かわうそのように少しばかり離れた目を微ませて、旨そうな鰻の折を物色していらしたような気がする。

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何十年を経ても色褪せない言葉と一人の女流作家の生きた道。誰にも似ていない、大衆に視点をおく、人生を客観的に楽しもうとする言葉。人柄。凜々しさと幸せな顔と51歳の女の孤独と……。屋外に出ると、雨が横から吹き付け突風に背中を押される。いない人の面影を探しそうになる、雑踏と滲む灯りの中に……。

その時だった。

「そろそろ、ブラインドを降ろしたほうがよろしいでしょうか。日差しが強く、頬にあたりますから」フリルのついた白いエプロン姿のかわいい給仕が言う。
「いいえ、このままで。まだ外をみていたいから」とわたし。
ああ。そうだ!銀座三越のラデュレで、いままさに運ばれてきた苺パフェにスプーンをたてて、冷たいアイスを口に運ぼうとしていたところだった。

一口食べる。酸っぱい苺の果実味と乳の品のよい甘さ。なんて美味しい。そしてーー。
窓下に広がる現実の世界に、眼を丸くして、のけぞった! 

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手をのばせば届きそう。声をかければふりむいてくれそうな距離で、わたしはTOKYOを見降ろしていた。

交差点の真ん中、誰もかれもが、口をふさぐマスク姿。けれど、若いカップルがソフトクリームを手にはしゃぎ、手をつないでスキップして踊る家族連れなど、ものすごい数の幸福と憂鬱が、見てとれた。

人が生き、躍動観にあふれた、銀座の夕暮れがそこにあった。街を愉しんでいた。日常の幸福な瞬間が、さしだされたのだ。わたしは雲上の神みたいに、間近から東京を眺める。そこに、自分だけがみた、夕方5時のコロナ渦の歩行者天国があった。
この時、この鼓動は、いまだけの情景だと思った。絶対にいつかこの時間を物語ってみたいとそう感じた瞬間だった。


読んでいただき、ありがとうございます。


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