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13. 動いてるって素晴らしいこと

ぼーっとした昼下がりの窓外。朝の散歩や夜の散歩で。あるいは、ソファに座ってベランダをみている時。仕事机で。

気がつけば緑をみている。
自然のゆらぎを感じている。

木々の枝や緑は、微風や大風や、雨やおひさまをうけて、年中ゆれている。


止まっている時はないかな、と思って気をつけてみるが、たいてい見あたらない。というか、外でゆらぎのない緑の葉や茎をみたことがない。それは驚きだった。

止まっているようにみえても、尖った葉っぱの葉脈をたどってみると、するする、つん、ふわり、しゅっと。それぞれのリズムで動いているのだ。

自ら動いているようで、
揺らされているのだ。

波動か、霊気か、微風か、大気のうごくさまか。それとも神の息吹か。わからないけれども。
葉からストーンと下がっている蜘蛛や小さな虫も、ありも、鳥もすべて動いている。揺れていた。


今日のように雨の激しい日など窓をあけて仕事机の前に座っていると。まるで海の波音が一定のリズムでもって、ザーッ、ザーザーザザーッと。寄せては返す、葉ずれの音が聞こえる。大きな背の高いケヤキの木が、机のちょうどコーナー位置に繁っているのだ。
わたしは、その音に安心し、葉の動きに心を吸い寄せられる。


娘のNが幼稚園の頃から、わたしはカエルを飼っていたのだが。彼らは動くものしか興味がもてず、最初は驚きをもってじりじり見つめ、そっぽをむいたふりをして。突然、顔ほどの大きな口をあけて、パクリとやる。腹にいれる。

そういえば娘のNも、その頃は興味をもったものなんでも、片っ端からとりあえず口にいれていた。


なにもカエルだけではないのだ。人も昆虫も両生類も、爬虫類も鳥類も。みな動いているものしか、興味がもてないのかしらと、思う。
人間も自然の一部だというけれど。人間とて、止まっている人間には、少なからず興味がもてないのではない?

いきなり大きく話は飛ぶが。

BLOGやInstagramやTwitter、noteも、しかり。
シャッターを卸したままにしているアカウントを、毎日訪ねてくる人は少ない。いたとしても、やがては飽きて、去っていくだろう。

毎日。なにかしらを発見し、明るく、くるくる動く。好奇心とエネルギーのあふれた人のもとには。あるときは元気をもらいに、疲れている時には、癒やしをもらいに。人が集まってくるのだ。

きらきらとしたバスルームの水だってそう。音楽だってそう。人は動いている自然や芸術、人たちに囲まれて。きょうも生きていける。

それが、日日の些細なほんの小さな歩みであったとしても。

さ、なら。がんばってゆかないと。
与えられるばかりでなく、ほんの少しばかりでも持っているもの(タレント)を与えられる人に。


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