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6. 突然の外傷と3日間の眠りの狭間で思うこと

それは、あまりに不意をつかれた感じで引き起こった。

5月のある日(2021年5月9日・日曜日)。実家からの帰り、わたしの心は清らかな水のようで自由な心持ちだった。西宮の自宅へ帰ってきながら、途中で買い物を2軒もはしごし、五分づき米にフルーツや野菜や山菜や、百日鶏やらを買い、夕ご飯は9時までに準備して、ゆっくり純米吟醸の「香住鶴」を飲み、食事をする。確か、メニューは、宇和島のタイの刺身、タケノコのおかか煮、百日鶏のレバー煮込み、クレソンと芹のサラダなど。だったはずだ。

家人との団らんもたっぷりして、さあ、お楽しみの風呂読書といきましょうと、意気揚々と一冊の本をもって向かう。あ、父の三十三回忌の記録を書いておくのもいいわね、などと手探りで真っ暗な寝室へ行き、鏡台の上にのっている黒い顔のポメラを取ろうした時、事故が勃発した!

暗がりの中、(機嫌のいい時に)眼をらんらんと輝かせて歩くのはわたしの悪い癖だが、足元にスーツケースをまだ広げたままにしているとは、すっかり失念していた。

走り込んだわたしの脚は、スーツケースにつまずき、そのまま自分の体重のかかるもの凄い力で、顔面から対物に突進して、さらに突き飛ばされた。

ベッドに頭とも、眼ともわからず、押さえて倒れこむ。ううっ。なにが起こったのか、一瞬、時間が宙に浮いた。そんなはずない……と思いながら、痛くて、そこにうずくまり、無音の声をあげた。しばらく倒れ込んでいた。(おそらく5分ほど)

が。ここで、死んではならぬと這うようにリビングへ行く。と、家人は、台所で洗い物をしてくれていて、声にならない声で呼ぶ。「お、お前。なんや血だらけやんか。おい大丈夫かぁ!」
駆け寄る家人の声が、震えて泣いているかと思うほど掠(かす)れていたので、焦りの声からわたしは、緊急事態だと完全に察知しないわけにはいかなかった。「氷、はやく。水素吸入、はやくして」と家人に指示を出し、ソファに仰向けになる。
30分くらいそうしてじっと動かなかった。じんじんと目が熱い。真っ黒な太陽が燃えているみたいだ。か、顔……なのだ。女の顔! 頭と顔がこんなに痛いなんて普通じゃあない。目の上にのせた氷が冷たくて、わけがわからない。半ば、しばらく呆然としたあと、がっくりし、もう早く寝よ、寝たい。

ゆっくりと寝て、朝になって、そして落ち着きたいなどと思う。

家人は救急箱をひっくり返して、血で赤く染まった絨毯や服や、ベッド周辺を拭いてまわっている。どうやら、わたしの歩いた足跡には、点、点、点と滲んだ赤黒い血痕ができていたらしい。家人が動揺し、慌てふためているのがわかった。そっと横顔をのぞいてみると、涙がすーっと光っているのがみえた。彼の膿んだ表情に、わたしも動揺した。

これは想像よりも悪い展開のような気がする。なぜーー。一昨日は父の三十三回忌で上機嫌のうちに、身内と親睦を交わし、さあこれから! と腕まくりをしたはずではなかったか。惜しいなぁ。いつも惜しいんだなぁ。上機嫌の時の自分は。などと胸のなかでつぶやく。

家人の手によって、氷をのせたタオルで冷やしていたあたりを、そっと剥がされた。「あかん、目の上が割れとる。血ぃとまらんな。救急で病院いくぞ」その声で、覚悟した。切れているじゃあなくて、今、彼は「割れている」といったのだ。わたしも一瞬にして、泡をふいた。すぐ車を出しコロナ患者で闘病する市立病院である。あらかじめ、家人が電話で状態を話していたので、救急に外科医がつめてくれていた。

はるか7年前の手術室を思わせる大きなまるい電気が煌々と光る中に、わたしは仰向けに寝かされる。眉間よりやや右側、どちらかというと眉あたりの位置に。稲妻のような縦方向の裂傷が。傷口は3〜4センチ。
人間の顔は、縦にわれるとその時に初めて知った。 
「これは深いですな。後のこる。縫うのが妥当ですが、顔の中央だからかなり難しいです。医療用テープでつくかどうか。血も完全には止まっていないし……」
当直でつめていた医師は、この4月から赴任してきたばかりの若い外科医だとあとで分かった。痛みをこらえ、若い医師を盗みみると、患者に同情をよせるような、おどおどとする自信なげな様子が、彼の目の動きからわかった。それでも、あまりに少年みたいな澄んだ瞳でのぞきこまれて、ドキッとした。いい感じの人!


結局は消毒と、医療用テープと包帯とでぐるぐるに顔を包まれ、この日の処置は深夜3時にようやく終える(実際には縫う処置、CT、MRIなど一カ月間かかった)。

湿気のある車のフロントガラス越しに、見慣れた長治郎の看板やTSUTAYAのあかりがみえた。よく知っている道路の景色に、とても心がやすらぐ。よかった。これで日常に戻れる。そう思った。(緊急事態はもうウンザリ)

帰宅し、ベッドで寝ようと上をむいても横をむいても、痛みのなかで、体がほてって眠れない。おそらくまだ興奮しているのだろう。処置室で、診察前に測ったわたしの体温はいつもより6度ほど高く、しかも血圧は上150、下110と、普段の平均からかなり高めの数字だったのだ。起きて洗面所に何度かうがいをしにいくが(病院でのコロナ感染が心配だった)、わたしはまさにカーッと頭に血がのぼっていた状態だったのだ。

朝方になって、少し眠れた。

7時。家人がこしらてくれたお粥をたべて、ほっと落ち着くと、ナントそれから延々翌日の、夕方5時半まで眠り続けた。家人は予定通りに徳島の県博まで出張へ行ったのだろう。

月曜、火曜、水曜日の午前まで、朝に夕に、3日間と眠り続けた。途中、職場のクライアントから、「取材取り消しするの? 大丈夫?」という電話をもらったのと、1本、火曜日朝に提出する案件があったので、机に張り付いて、朦朧とテープ起こしをしたものの、原稿までは無理で。メール2本と休日前に仕上げていた原稿をまわしたほかは、ほとんど寝っていた。

そして今日、5月12日(水曜日)。ようやく昼間、起きていられるまでになった。午後。今月も定期の刊行物でタッグを組むデザイナー女子が
「寝た方がいいのよ。外傷や内蔵や、体の具合がわるいとなんぼでも眠れるの。人間だって動物だからね、そういう風にして再生しようと体が求めているのよ。いいから寝て」と受話器のむこうから声が聞こえた。

考えてみると、3月末くらいから調子があまりよくなかった。わがマンションは大規模修繕工事のため、リビングも仕事部屋も、暗幕のような網で家全体が覆われているうえ、それがお葬式みたいで。リビングはもちろん、仕事部屋も、風呂場もすべて窓は開かず、この頃は乳白色のぺらぺらの脂紙(パラバン紙)で目隠しをされていた。まるでわたし自身が眼を潰されているようで、せつない。初夏の浮き立つような採光も眩しい緑光もとれないのだから。がっかりである。おまけにこの塩梅。寝ている間中にも、目や顔が痛い! というのはショックだった。頭の中が、おがくずのようになったようだった。

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水曜日。昼3時。起きてみたくなる。久しぶりにベッドを離れ、台所に立ち、じゃがいもとたまねぎ、にんじんと鶏肉と炊いて、グリーンサラダと、ちりめんじゃこと海苔を添えて、つつましく一人っきりの食事をした。食べられる。それだけでうれしかった!

あいにく、外は雨のようだ。玄関側のガラス窓を小さくそーっとあけると(唯一、窓が開く部屋だ)、ケヤキの葉がゆっさゆっさ揺れて、雨に濡れた土と植物と生き物の匂いが、だんだん部屋へ流れ込んでくるのがわかる。

わたしは、思わず普段は脚をおろすベッドの方側に、ごろんとそのまま倒れ込み、頭を窓のほうへ落として、存分に、自然の風のにおいをかぎ、雨の音を感じとった。そのまま5分ほど過ごす、外の世界だ。わたしはシーン自然のなかに同化したように、思った。

タタタ! 急に勢いよく走るや冷蔵庫を思いっきり開けて、明るい黄色のタイ産ゴールデンマンゴーを手に取ると、薄い皮を全てきれいにむいてボート型にして皿の上にのせた!
寝室に戻ると、ちょこんと少しだけベッドの上に尻をのせて、スプーンで豪快に果実をつきさし、べとべとの果汁を、手の外面にたら〜り、たらーり、たらしながら、滴るようなマンゴーを味わった。甘い黄金の果汁が、全身に深くしみわたる。弾けるような気分だった。

頭、大丈夫か。原稿、書けるのだろうか……。でも、ちゃんと感じられた、自然を。

 それだけでいまは十分よ。

わたしは、もうはじめて眼を覚ました動物の子供のように、無邪気に、エネルギッシュに、うまいマンゴーを存分に腹におさめた。しっとり雨の匂いを感じながら。

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