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8. 父の三十三回忌の法要で感じた一陣の風


 わが家の墓地は、思いのほか、敷地が広すぎる。春のお彼岸に、家人と墓掃除をして雑草を抜いたばかりだというのに、もう膝位置くらいには伸びていた。敷地いっぱいのドクダミと竹の根、ツタ科の雑草が多い。中央の先祖代々の墓。石碑の隣には、わずか2歳で地蔵の姿になった姉と、土葬のままで埋まっている6体の故人の墓。全員に、まず花を供えた。


 母(今年89歳)を、栂尾山・高照寺の境内に待たせているのだし、はやく掃除をしなければ。這うようにして両手で草ぬきをし、墓石に水をかけ、ごしごしと素手で石の水場を磨く。丸めた新聞紙を燃やして、線香をたむけるまで、約30分だ。お墓掃除とお墓参りを済ませて走って、寺へかけ上がると、母は、御住職の高僧、密祐快氏(高野山の阿闍梨、元高照寺の住職)と楽しそうに話していた。

 いよいよ父の33回忌の法要が始まった。浪々とした澄んだ声で丁寧に拝んでいただいた。

般若心経の1節が終わり、後半の盛り上がる「毘盧遮那佛 毘盧遮那佛 (ひろーしゃだーふー、 ひろしゃだふ) 毘盧遮那佛 毘盧遮那佛 (ひーろーしゃだーふー、 ひーろーしゃだーふー) 」のところは、阿闍梨に従い、共に声を揃えてお経をあげる。

 
位牌堂でお経を唱える時にわたしは、いつもろうそくの火の瞬きを、みつめる。ぴーんと、透る張りのある声に応えるように、そうそくの火は、縦に揺らぎ、細く飛び、激しく燃える。あるいは、もっともっと細くなって、左右にはみ出して燃える。火が意志をもっているよう。「幽玄」、という言葉を思い出した。

ああ、と思う。ああ、来てくださっていると感じる。火の中に御霊を感ずるのだ。

 法要のあと、ひさしぶりに座敷に座って阿闍梨と話した。大日如来のすぐ隣の席だ。

中でも護摩供養の話しに感銘をうけた。
創設720年、行基が開山した寺には、古い蔵があり、護摩供養ができる「不動明王堂」を設けたという。さて観音菩薩をどうしようか。どこからもってこようかと、考えたあげく、阿闍梨自ら、島根県の出雲から砂岩を取り寄せ、手堀りの石仏を一心に掘られたとのことである。

「 ぜひここで護摩を焚いてほしい」そういった願いも多く、臓器移植の人、癌患者など不治の病をもつ家族の願いを聞き、「不動明王堂」で護摩を焚かれた。
すると、「仏は聞き入れて下さったんや。わしも奇跡は起こるんやとびっくりしたで」と阿闍梨は大きな声で熱をこめて話す。(快復する見込みのない人が奇跡的に助かったらしい、そんなことが何度も、、、)

 「で、僕は思うんですよね。現代には現代の仏が必要だ。わたしのようなものでも一心不乱に石を堀りまして、お性根をいれる。するとな、腰を抜かすようなことが本当におきるんや」と浪々と諭してくださった。

この高野山真言宗の阿闍梨の密祐快氏、父の生前は、破天荒な青年……いやまあ(笑)、ユニークな人で、若い頃はバックパッカーでインドやタイ、オーストラリアと世界中を歩いて旅されたのだという。アジア、オーストリア、中南米などを放浪時に、紡ぎと原始機を取得し、珍しいシュロ縄を用いて編む、技法を学ぶ。それを作品として昇華させ(生と死をテーマの作品を発表)、展覧会に出展させたり、自らの手で石仏や木の仏を掘ったりする、アーティストでもある。

いわゆる自分は「経験主義」で生きてきたそうだが、いまは、「経験はさておき、人の知恵や思いは宙を飛ぶ。ほんまにそうなんや、とわかったんです」と仰っていた。昨年まで(約3年)ブラジルで、真言宗、密教の布教に出られていた。

コロナ禍で、死者の多いブラジルでは葬儀もままならない。阿闍梨は、兵庫・八鹿の高柳の不動明王堂から葬式のお経をあげ、現地のブラジル人がiPhoneの(おそらくLINE映像で)キャッチ。そうした日本式の供養を行ったこともあるそうだ。

この頃は朝3時に床を出て、大和創世の古文書をひもとき、本を書いていらっしゃるらしい。

「あのな。あの世に住む母と現世の中で生きる娘が、手紙を出し合う。そう、往復書簡をかわすんやで。あの世はこういうところや、世の中はこうなったで、と交信しあう」そう。「本、すでに脱校し、英語とブラジル語に翻訳している最中にある」といわれる。話を聞くだけで、からだがざわざする。楽しかった。

 ▼(高野山の金剛峯寺)

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集中して話しを伺っているうちに、ここへ来てはや3時間以上、が流れていた。
奥様が、煎茶から、甘茶へ。さらに、本場のブラジルコーヒーと、飲み物を3回も供して下さるのだから、よほどこちらも粘って話しを聴いたのだろう。

背後をふり向く。耳を澄ますと、樹齢3百年のイチョウが、ざーーっ、ざーーっと枝葉を揺らしていた音だった。台風かと疑うほど葉ずれの激しい音。すずなりの葉ずれ。それはものすごい迫力だった。何が起こったのかと、驚くほどに。

もう夕方の5時になろうとしていた。
ちょうど、わたしが阿闍梨に「いま、こんなことを初めて試みてみました。ものになるかどうかわかりませんが……父の口癖は、……」こうでした、と話し、わたしは「この言葉をいまも支えに生きています」なんて、皆に話していた時のことだ。そこに、ゴーーと大風!! に遭遇したのである。

ふっと。寺のお座敷からイチョウの大木と、水色の空を見上げるにつけ、時間が立ち止まって、こちらをみておられるような、何か大きなものに包みこんでもらっているような、温かい気持ちが訪れ、ハッとした。

うれしくて、佳き日。母がちょこんと私の隣に座ってくれていて、わたしは、永遠に、いまの時空に閉じこめられてもいいと思う、不思議な衝動にかられた。



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