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29.フジコヘミング昼下がりのコンチェルトin 滋賀県立びわ湖ホール


 

 

琵琶湖のほとりを歩く

 

その日は、今日のように、冬の太陽が、地上のものたちを抱きしめるように温かく照っていた。JR京都駅を過ぎ、山科駅を通って、大津駅というアナウンスを聞いて降りる。そこから、琵琶湖にむかって、何も考えずに歩いた。いつも、寒く感じる背中も、寒くはない。むしろ、右脚、左脚と前に出して歩くうち、体に熱が蓄えられていくような感じだ。

 
しばらくすると琵琶湖の湖面がみえるようになる。

そういえば、今年の夏、誕生日(8月8日)の日にも、近江牛のヒレステーキを食べたあとで、この湖面の豊かな広がりを、視たのだった、と思い、動いては流れている水のかたちをみながら、歩く。

びわ湖ホール(滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール)まで、20分ほど。息もあがらず、気持ちよく散歩できたことを幸せに思った。

 びわ湖ホールについて、石の階段をあがる。大勢の人が、マスクをして集まっている。わたしも、鞄のポケットに手を差し込み、マスクを2枚重ねする。

大ホール会場に入る前に、もう一度、ガラス越しに琵琶湖をみた。

湖の水は、どこから湧いてどこへ流れていくのだろう。
かの昔から1年たりと枯れることなく、こうしてあるのだという不思議を思い、ホール会場へと入った。

 

 

フジコ・ヘミングのピアノ&オケ

 

 会場は、4階まである。ほぼ席は埋まっていた。(8.5割くらい)

フジコヘミング「昼下がりのコンチェルト」。

 マリオ・コシック指揮者が率いる関西フィルハーモニー管弦楽団の奏者たちが、その人を待っていた。

フジコ・ヘミングは、白いレースのドレスで。首から腰にかけて(骨やリンパや鍵が)、ひらがなの「く」をさらに横へつぶした歪曲(後弯症)のからだで、我々の前へ登場した。介添えがないと、ひとりで歩けないというように、わたしには見えた。誰もが、息をつめて、じっと見守る。

 フジコ・ヘミングが手をピアノにのせた。

ショパン ピアノ協奏曲大一番 ホ短調Op.11より 第2楽章ロマンスラルゲットから。ゆっくりと始まった。

 おばあちゃんの皺くちゃの手でギュッとにぎった。あったかい、おにぎり、のようなピアノ。やさしい音色。

 関西フィルの楽団たちも、心なし、今日のフジコの体調を見守るように演奏している、かにみえた。

 曲の中盤を過ぎるか、過ぎないかくらいから、ショパンの世界に、フジコが溶けていく。のってきた。日本を舞台にしたおばあちゃんのおにぎりが、ウィーンの冬の舞台に変化した。張りつめた緊張感のあるピアノ。会場内の活気。大拍手が沸き起こる。

 

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番ハ長調 k.467 第一章アレグロへ。
第2章 アンダンテ

 白いドレスを着ているフジコは、もはやオーケストラの演奏に全くもって負けていない。浸みわたる音色だ。

 もはや、フジコはおばあちゃん、ではない。ピアニストのプライドが、わき上がっていくのを感じる。

 初動で固くなって俯いていたフジコが、頭の位置が徐々に上がる、髪のリボンをなでる。肉厚のある、(表皮はおそらく)カサカサのフジコの掌。右手をだらりと下げ、息をいれ、一瞬のすきに髪をなでる。
そうすると、またピアノの音は輝きをまし、光るようになる。

 そう、フジコのピアノには一切楽譜が置いてない。だから、フジコはイマジネーションの中で弾いているのだろう。

 アンダンテは、癒やしの音楽だ。
鍵盤をかけあがっていく高音は、ソプラノの女の声。
鍵盤をかけ降りていく低音は、アルトの張った男の声。に聴こえる。

 モーツァルト ピアノ協奏曲第21番ハ長調 k.467 第一章アレグロ

3楽章のアレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ

  歌い上げるようにピアノの音譜に色をおとす。塗りあげていく。
すると、空気がかわる。緊張感をもったフラワーフィールドのような会場になる。わたしはそのなかにいるのを、奇跡のように感じていた。

 フジコの間の取り方。フジコの解釈で。フジコの演奏は進められる。

フジコのピアノにリードされ、指揮、オーケストラの面々であるバイオリン、チェロ、打楽器が、フジコのピアノに広がりを与えている。

 

 「こんにちは、フジコ・ヘミングです。今日は調子があまり良いとはいえないですね。わたしに、拍手はいいですから。この素晴らしい指揮者に惜しみない拍手を。彼はシャイですが、世界を舞台に活躍している情熱のある指揮をします。素晴らしいオーケストラに拍手をしてあげてください」

あのフジコ・ヘミングの声で話す。

「最後に、ラ・カンパネラを弾きますが、その前に今から、ショパンのエオリアンハーブを弾きます」

 フジコの白いドレスにスポットライトがあたる。
会場から浮かび上がるフジコ。まさに光の音だ。周囲からも鼻のすする音がした。皆、感動しているのが伝わってきた。

 

回想フジコのこれまでの奇跡

 

2018年「フジコヘミングの時間」というドキュメンタリー映画を観た。

あまりに良かったので、2度目は母を誘って実家に近い映画館でも観た。

 

 「ラ・カンパネラは鐘。壊れた鐘があってもいいじゃない。壊れそうなほど繊細ってことよ。機械じゃないのだから、間違うこともある。人は間違って生きていいの。そのほうが、ひとの心をつかむのよ。ね、素敵な考えだと思わない?」

 フジコヘミングは、日本人ピアニストである大月投網子とロジア系スウェーデン人建築家のジョスタ・ゲオルギー・ヘミングの間に生まれている。

誕生地は、ドイツのベルリン。フジコが遊びでグランドピアノによじのぼって叩いていたピアノの音色が、あまりに美しかったので、母はこの子は才能がある、と見抜いた。

5歳の時から、母によるピアノの英才教育をうける。

 10歳でロジア人のピアニストレオニード・クロイツアーニに師事。彼はフジコのピアノを聴いて、世界中の人々を魅了するピアニストになるだろう、と言った。

 その後、青山学院、東京芸大を経て、ピアニストの登竜門とされるNHK・毎日コンクールに入賞。誰もが留学を期待したし、もちろんフジコも、彼女の母も望んだのだろう……。しかし、パスポート申請でわかったのだが、フジコは「無国籍」であったのだ。せっかくの留学を断念した。

地道にピアノコンサートを続けながら、ようやく1961年(フジコは30代)に、駐日ドイツ大使の助力により、赤十字に認定された難民としてドイツのベルリン国立音楽学校に入学する。主席で卒業した。フジコは、「ずっと貧乏でした」という。音楽を志すには、お金がいるのだ。フジコは、各地で音楽活動を行うも、母からの僅かな仕送りと奨学金で貧しい生活を強いられていたらしい。

ドイツ、オーストリア、スウェーデンで演奏を行いながら、なにがあっても日本にまだ帰れない、と思ったのだとか。

 そんなある日。ドイツ、オーストリア、スウェーデンで演奏活動をしている、日本人がいるというニュースを、作曲家であり指揮者のブルーノマデルナ氏が知る。フジコの演奏を聴き、
「彼女はショパンとリストのピアノを弾くために生まれてきた人」
と賞賛した。ソリストとして契約するが、彼がセッティングした大きな演奏会の直前に、風邪をこじらせ、両耳の聴力を失ってしまう。やっとの思いで掴んだ大舞台でのチャンス(名声)を逃しのである。


 フジコは16歳で中耳炎を悪化させ、右耳の聴力を失っていた。
今回のアクシデント(悪夢)で、左耳の聴力も失ったのだ。

「耳が聞こえないとは、なんとも気持ち悪いものなの。吐き気もする、辛かった。悪魔がわたしのところに乗り移ったのね」

 フジコはストックホルムに移り、耳の治療をしながらピアノの教師を続け、それでも細々と演奏会は続けた。

だから。フジコが日本に帰国したのは、母が床に伏し、他界した1995年になる。

フジコは、母のスタジオがあった下北沢に居を構える。多くの猫が、フジコの家族だ。それからもピアノを弾き続けて、母校東京藝大「奏楽堂」でコンサート活動をしていた。

これに NHKが目をつけ、ドキュメント番組ETV「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」として放映。大反響を呼び、フジコブームが起こった。デビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、発売後3ヶ月で30万枚のセールスを記録。その後、ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ベルギーと世界各国で演奏の旅に出る。

2020年コロナ・ウイルス感染拡大。

2021年。フジコは89歳になった。フジコは日本を中心に、ソロ演奏やオーケストラーとの共演を行い、演奏会の予定が埋まっている。

フジコの、長年の習慣がある。どの国においても募金活動の箱をみれば、必ず、お金を入れていたという。

カンタンにいえば、メディアや映画で紹介されている筋書きは、こういう内容だと思う。しかし、わたしが伝えたいは、フジコヘミングの音楽が〝魂のピアニスト〟と称され、人の心を打つのは。彼女がほかの誰とも違う独自のピアノの音を奏で続けている、ということ。
本当の意味で作曲者の心(クラシック)を想像し、曲の心に、自分のピアノを投影して、「唄いながら弾いている」のじゃあないだろうか。
聴くものそれぞれが、それぞれの風景をかきたてられていく、「包容力」のようなものが備わっていると、思う。

そして幾つになっても自分の音楽性を信じられるというところにも、感銘を覚える。


 

コンサートの余韻


第二部ベートーヴェンの交響曲第7番イ長調Op.92 の演奏が始まる。関西フィルハーモニー管弦楽団 指揮マリオ・コシック氏

(フジコは、舞台の袖。パイプ椅子に座り、音楽に耳を傾けている)

 

第一章    ポコ・ソステヌート ヴィヴァーチェ

第二章    アレグレット

第三章    プレスト アッサイ・メノ・プレスト

第四章    アレグロ・コン・ブリオ

 

アンコール曲はブラームス作曲 交響曲第3番第3楽章。

拍手喝采。全ての演奏が終了した。アンコールの余韻に浸る会場。フジコは、舞台の袖。指揮者、演奏者がすべて引けても、まだフジコは動かなかった。じっと舞台から自分のピアノを弾く場所をみており、ふと思いしたように、会場内の観客を眺めた。

やがて、フジコはたった一人ですくっと立ち上がり、小さな黒いショッピングカート(シルバーカート)を押して、お婆さんの顔で、幕の中へ消えていった。

会場からは拍手が鳴り止まなかった。
フジコが去っても拍手は鳴り止まなかった。 


※ トップ写真(ピアノを弾く画像)は、フジコ・ヘミングさんの公式ツイッターから拝借しています

 

 

 

 

 

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