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ママゴト

リモートワークが続く夫。
オンライン会議が連続で、自分の作業もあるけど進める隙間が無いくらいで、夜中や早朝にも起きて、追いつこうとパソコンに向かっています。
案件のこと、会社のこと、と、頭の中が常に決断決断で疲れ果て、身体的にもシンプルに疲れ果て、私と喧嘩したキッカケでついにクラッときてしまいました。

「俺、なにしてるんだろう?
パソコンに向かって必死に案件まわして、
目の前では娘がパパ遊んでって言ってくるのに…
なんていうか…ママゴトしてるみたい。」
そう言った言葉に、あぁ私はこの人と暮らしていてよかったなぁなんて、思ったのでした。

彼が家族のために稼ごうと頑張っていることも、社会に向かって行っていることも、どれもちゃんと価値のある事なんだと、それは私もそう信じているのだけれど、すぐに物体化して目に見える仕事ではないし、対象は広いし、そこまでの道のりがとても抽象的なのに、なんとか言葉にして周知してもらうしかなかったり……なんていうかそういう大変な渦の中で「俺はこんなに頑張ってんだぞ!!怒(心の中では助けてくれー!!)」と渦に飲まれてしまう人ではなくて、ちゃんと芯が自分の感覚にあるからこその言葉だなぁって思ったのです。

仕事や生活の中で、みんなでやるためのルールや、スムーズに進めるための段取りや、長く続けるための金銭的な計画や、そういった諸々の波に乗って、リズムよく働けている時に感じる心地よさがあります。でもその中でつまづくと、急に自分かダメなような気がしたりするし、または、つまづく暇も無いほど、量が多すぎたりスピードが早すぎたりすると、最初は自分でリズムの波を起こしていたつもりが、波がぐぃんぐぃんと渦になって、自分の思考は吹き飛ばされ、渦の勢いに飲み込まれて流されそうになっちゃう。
そんな風に感じる事があったから、夫の「ママゴトみたい」という言葉にすごく共感したのでした。

逆に、現実の今を、生きてるなぁと感じる時は、きっと段取りやルールやスケジュールから外れた、どうしようもない不規則な自然物と接した時、言葉にできなくても何かずっしりと実感のある時なのかな。それが制限のない時間を過ごす事でもいいし、外の風でもいいし、拠り所のない音でもいいんだけど。
そういう意味で、渦の真っ只中に居るときに、不規則の塊である娘(2歳児)が目の前で自分に呼びかけてきたりしたら、そりゃあ混乱しちゃうよなぁって。

一方で、その不規則の塊ちゃんが最近嬉々と行なっている「ママゴト」もあります。
ここは保育園、ぬいぐるみの赤ちゃんを預けた後はパソコンでお仕事をして(パパの真似をして音声入力も大活用)、お財布にお金を見つけたらお買い物に行く。お店の人に食材を注文したら、お客だったはずの自分が厨房に入ってお料理して、いつの間にかそこでパーティーを開くことにもなって、ごはんを全部食べた人にはデザートと珈琲も出してあげる。発泡スチロールを砕いた小さな丸い玉は雪。ふわふわ〜っと舞上げ、「雪だ〜!寒いね〜!マフラーしようっと!」と手を首に当てる。
私は、そういえばマフラー編んであげようと思ってたなと思い出し、「今度ママ、うーちゃんのマフラー編んであげるからね〜♡」と言うと、いきなり冷める娘の顔。「うーちゃん、手のマフラーしてるの!手のがいいのっ!」と怒られました。

娘の遊びを「ママゴト」と勝手に呼んでいるのは大人だった。現実の世界を基準にして、真似事の、架空に思える世界をママゴトと呼んでいる。
娘視点で考えると、その架空の世界こそが自分で100%の実感を持つ現実世界であり、逆に大人が現実世界と呼んでいるものは、まだなんだかよく分からない事がいっぱいの架空のママゴトなのかもしれない。ちょっとママ、ママゴト持ち込まないでよっ!(怒)ってことだったのかな。

足下に散らかった発泡スチロールの雪は、踏むとギュッギュッと雪の音がする。今日はゴミの日だったけど、しばらく捨てない事にした。
床のゴミと混じるし、後片付けも大変なんだけど、ふわふわ〜っと舞い上げた雪は本当に優しくて綺麗だったし、娘の顔もとてもいい顔をしていたから、またやろう。
でも一旦片付けるけど。
怒るだろうな。忘れてるかもな。
またいつでもやるからね。
マフラーは私が編みたいからこっそり編む。
大人にとっても、子どもにとっても、どっちがどっちか分からないけど、現実世界とママゴト世界が混じり合って楽しくなる時も、きっとあるんじゃないかな。


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