見出し画像

#5 苦手を乗り越えた経験を、仕事に。~ADHDの整理収納アドバイザー、西原三葉さんの物語~

こんにちは、Risaです(^_-)-☆

今回は「ADHD」の整理収納アドバイザー、西原三葉(ニシハラ ミワ)さんにインタビューさせていただきました!苦手で、どうしてもできなかった片付け。しかし、現在なんと延べ600軒以上のお宅を訪問、『できること「だけ」やればいい!』という片付け術をアドバイスされています。どうしてもできなかった、苦手なことが、どうしてできるようになったのか、なぜそれを仕事にしようと思ったのか?インタビューして来ました!

画像1

片付けが苦手、というと、私も(*・・)/ハーイ、私も(*・・)/ハーイ、と思う方は多いかもしれません。一方で、ミワさんは、苦手と言っていても、自分と同じレベルに苦手な人は少なく、片づけられないことにずっと悩んできたと言います。

かつて、ものがあふれて乱れ切った家に住んでいたとき。最初にとりかかった片づけは「家族が安らげるリビングスペースを確保する」でした。ダイニングテーブルは物置き場、ソファは洗濯物が山積みで座れず、床はものを踏まなければ歩けない状態でした。

ミワさんの幼少期から、なぜ片付けを仕事にするようになったのか、紐解いていきたいと思います!ミワさんの物語を読むような気持ちで、読み進めてもらえると嬉しいです😊

忘れ物が多い子供時代

ADHDという診断名ができたのは、1994年(DSM-Ⅳ)以降。発達障害者支援法が施行されたのは2005年のこと。ミワさんが子供の頃、発達障害という概念はありませんでした。そのため、ミスや忘れ物が多いことを、努力が足りない、とよく怒られていました。忘れ物をする度「×」をつける忘れ物表で、ミワさんは突出して忘れ物が多く、先生に「私は忘れものばかりするダメな人間です」と書いた張り紙を胸に張って走らされたことも...

就職

学生時代のバイトではミスが多く、レジ打ちのバイトでは、5000円もらって、おつりで1万円返すことも!でも、バイトでミスをしても、バイトはやめればいいし、と特に大きな問題は生じませんでした。

ですが、就職となると、話は違います。

就職して最初に配属されたのは、なんと本社総務の給与計算係。一番苦手なこと...!計算が合わずミスばかりで、できの悪い自分を責め続けることに。うつ病になり会社を辞めてしまいました。

結婚

ミワさんは、それまで幾度となくミスを繰り返してきていた為、自己肯定感が低くなってしまっていました。当時ミワさんは20歳くらい。ある時、ミワさんは会社の納涼会のイベントに参加、そこで30歳過ぎで支店に来ていたアルバイトの彼に出会いました。彼は、ASD(アスペルガー症候群)の傾向がある人でした。(ASDとは、社会的なコミュニケーションや他の人とのやり取りが上手くできない、興味や活動が偏るという特徴を持っています。)

初デートで、彼は「付き合った人が30人以上いる」と自慢してきました。加えて、なんと「前の彼女と別れていなくて、今二股をかけている」と言われました。なんて人だ、と思う人が多いと思いますが、ミワさんはその話を聞いて、この人かわいそうだな、私が助けてあげたいと思ったのです。実家から出たいという気持ちも強く、22歳でその彼と結婚することにしました。

夫は、とてもきれい好きで、部屋が散らかっていると怒るのですが、だからと言って片づけを手伝うことはしませんでした。ミワさんは家をきれいに保つ努力をするのですが、最低限の家事で手いっぱいで、部屋は荒れていく一方でした。

ADHDの診断を受ける

ミワさんがADHD(注意欠如・多動性障害)の診断を受けたのは、40歳の時。ミワさんは、そこで初めて、自分には「片付けが苦手」という特性があると知りました。「なんでこんなダメな自分なんだろう」と自分を責め続けていましたが、理由があると分かることで、努力では改善できないものだと分かりホッとしました。

転機になったのは、当事者会への参加です。当事者会では、問題解決志向型で、それぞれ困りごとを話し、それをどう解決するか、話し合います。診断は降りたものの、薬だけで良くなることはなく、当事者会では、自分と同じレベルで困っている人がたくさん!ミワさんはどこか安心した気持ちになりました。ある時、ミワさんは、Suicaをなくして落ち込んでいる時、その話を当事者会ですると、他の当事者の方々が、「今年何回目?」と聞いてきました。ミワさんはまだ1回目でしたが、既に2、3回なくしている人もいて、「1回なくしたくらいで落ち込まなくていい」と励ましてもらえました。

またある時、その当事者会で、ミワさんは泣きながら「私片付けできないんです」とカミングアウト。今まで1日だけ片づけを頑張っていたことはあっても、すぐに元に戻ってしまいます。そこで、きれいにした写真を他の当事者の方に送り、この状態がキープできるように頑張りますと宣言することにしました。そうすることで、みんなに励ましてもらいながら、きれいにした状態をキープできるようになりました。

片づけはまだ嫌い、でもお客様が喜んでくれるから続いている

自分で片付けが続くようになってから、ミワさんは、同じように困っている人をサポートする仕事をしたい、と思うようになりました。女性で片付けられないことは人に言えないくらいの苦しみがある。一方世の中の片付けのプロはもともと片付けが得意な人ばかり。きちんと片づけたり畳んだりできないから困っているのに、それをやらせようとする。同じ痛みを分かったものとして、片付けの資格を取り、仕事としてやってみたいと思うようになりました。

最初は片付けの仕事で、生活が成り立つとは思っていませんでしたが、それまで18年続けて働けていた出版社の営業職を思い切ってやめ、片付けの仕事を始めました。いざはじめると、ADHDをカミングアウトしている為か、びっくりするくらい仕事の依頼が来ました。同じようにADHDやADHD傾向のある人が、ミワさんなら相談できるかもしれないと、連絡をくれたのです!

(ミワさんの片付け術を具体的に知りたい方は、ぜひ『「片づけられない...」をあきらめない!』主婦と生活社 をお勧めします!)

仕事を通して発達障害の自分を認められた

ミワさんは、自分の特性を受け入れ、できることとできないことを見分けた上で、できないことをせめてもしょうがいない、とある程度自分自身を責めなくなってきました。好きなことだとか集中できるし、みんなが喜んでいる姿を見ると自己肯定感が上がります。

ミワさんは、片付けで困っている人の為に仕事を始めました。同じ痛みを経験したものだからこそ、片付けの技術がその人に寄り添ったものになり、それを喜んでもらえます。自分じゃなきゃできない仕事、障がいがあったからこそ経験できる仕事ができているとポジティブに捉えられるようにもなりました。

あとがき

ミワさんの人生や片付け術について、ご自身の言葉で丁寧に書かれているので、関心を持って下さった方、片付け術について知りたい方は、ぜひ『「片づけられない...」をあきらめない!』読んでみてください!ADHD傾向を自認していない方にとっても、誰でも始めやすく、役立つ情報が載っています。

私は、ミワさんの苦手なことを仕事にし、それを天職だと思えていることに感銘を受けました。学生時代、やりたいことや得意なこと、できることから仕事を探します。もちろんそれは間違いではありませんが、今後、自分がぶち当たっていく困難が、そしてそれを乗り越えた経験が仕事として、唯一無二のものになっていく、そんなこともあるのだと教えて頂きました。

最後に貴重なお時間を頂き、インタビューを受けて下さったミワさん、そしてここまで読んでくれた皆さん、ありがとうございました!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?