見出し画像

II. なぜ今ウクライナを知るべきなのか?歴史とアイデンティティ

ウクライナの文化や歴史は非常に興味深く、日本人にとって未知な要素が多く存在します。

そのため、ウクライナをより深く理解するためには、この国の文化と歴史について学ぶ必要があります。以下に、ウクライナを知るべき理由について説明します。

まず、ウクライナの文化は多様で魅力的な特徴を持っています。

ウクライナはこれまで数々の国々から侵略された歴史やロシアからの文化・言語弾圧に苦しまれてきた歴史があります。文化を知ることはウクライナ人のアイデンティティを尊重できることに繋がり、ロシアから今もなお侵されようとしている文化の防衛にもなります。

そして今、ウクライナのために世界ができる最も簡単なこと、それは「知ること」です。

ウクライナの伝統音楽や舞踊、料理、民芸品などは独自のスタイルと美しさを備えており、世界的に高い評価を受けています。別章で紹介する予定ですが、ウクライナの民族衣装や伝統的な祭りも、その文化の一部であり、ウクライナ人のアイデンティティを表しています。これらの文化要素を理解することで、ウクライナの人々の生活や考え方について洞察を深めることができます。

また、ウクライナの歴史は非常に興味深く、重要な出来事が数多く存在します。ウクライナは長い間、東欧の交差点に位置し、異なる文化や民族の影響を受けてきました。特に、キーウ・ルーシ時代やクリミア・ハン国家、ソビエト連邦時代などは、ウクライナの歴史の中でも重要な時期です。本章では、キーウ・ルーシについてのみ簡単に触れます。

ウクライナはまた、独立運動やロシアとの関係の緊張など、現代の政治的な出来事においても注目を浴びています。これらの歴史的な背景を知ることで、ウクライナの現在の状況や人々の考え方を理解することができます。

さらに、ウクライナの重要性は地政学的な要素にも関わっています。

ウクライナはロシアとの国境を接し、ヨーロッパとアジアの架け橋としての役割を果たしています。ウクライナは欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)との関係強化を模索しており、東欧の安全保障や国際政治の舞台において重要な役割を果たしています。そのため、ウクライナの国際的な関与や地域情勢を理解することは、世界情勢を把握する上で重要です。

以上の理由から、ウクライナの文化や歴史を知ることは非常に意義深いものです。
その知識を通じて、ウクライナ人のアイデンティティや価値観を理解するだけでなく、国際政治の視点からも世界の現状を考えることができます。

ウクライナの本質を知るためには、その文化と歴史について学び、ウクライナ人との交流や情報収集を通じて、より広い視野を持つことが重要です。さて、本章では「キーウ・ルーシの歴史」に始まり、ウクライナのアイデンティティを知るための第一歩をご紹介しましょう。

キーウ・ルーシの歴史

12世紀

12世紀、現在のウクライナの地域は個々の公国に分割されていました。

キーウは998年からキリスト教を受け入れ、大公ヴォロディーミルの子孫が統治していました。当時のウクライナの地域では大公たちは非常に平和に共存しており、1言語で民主的に交流していました。

人々に不満があれば、別の公に首位を譲る要求ができる程に民主的で流血のない国でした。

一方、当時のロシア地域は法治国家に至らず、人々はいつしか遠方を強奪・侵略するために大きな集団を形成。

そんなある日、その指導者の一人がトルコの王女と結婚しアンドリー・ボゴリュブスキーを産みます。

1169年:形成した大きな集団とともに彼はキーウに攻め入む略奪を決意します。

イパーチー年代記によると、

「...彼らはキーウで2日間容赦なく略奪を繰り返した。教会は燃えキリスト教徒は殺され、他の人々も捕らえられた。女性は捕虜となり、夫と引き離し、子は母を見つめて泣いた...」と。

彼はキーウから聖なる印(※キーウが主要なキリスト教のシンボルとするコンスタンティノープルから贈られた聖母マリアの印)を盗みました。

聖なる印を自領土に持ち帰り、その周りにウラジーミル(現在のロシアのスーズダリ)という町を建設し始めました。

ロシア人が捕虜にしたキーウの人々は、全てこの町で奴隷として使役されました。
奴隷の内1人がアンドリー・ボゴリュブスキーの料理人になり、彼を殺害し復讐を果たします。(続く)

以上が、ウクライナとロシアが関わった歴史上はじめて深く関わった瞬間です。当時、すでにポーランド語、チェコ語、ウクライナ語が存在していました。

【参考文献】
☑︎ラジヴィウ年代記 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A6%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E8%A8%98

☑︎イパーチー年代記 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%BC%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E8%A8%98

☑︎ウクライナ歴史百科事典 
http://resource.history.org.ua/cgi-bin/eiu/history.exe?&I21DBN=EIU&P21DBN=EIU&S21STN=1&S21REF=10&S21FMT=eiu_all&C21COM=S&S21CNR=20&S21P01=0&S21P02=0&S21P03=TRN=&S21COLORTERMS=0&S21STR=Ipatiivsky_litopys

ウクライナの国章トリズブ🔱

ウクライナには、憲法に基づく3つの公式シンボルがあります:国旗、国章、国歌です。国章の背景を説明したいと思います。

1992年2月19日に議会によって承認されたウクライナの国章は、古いシンボル「トリズブ」を特徴としています。
トリズブは、古代からの象徴的な属記号で、異教のシンボルとされ、生と死を象徴する神ペルーンを中心に、右には男性の神ダジボグ、左には女性の神マコシャが描かれています。

このシンボルは、トリポリエ族やスキタイ族によって広く使用され、古代では長老のシンボルでした。
ウクライナの国章として選ばれた現代のトリズブは、キーウ・ルーシ時代の主要なシンボルであり、キエフ大公ウラジーミル大帝の紋章でもありました。

彼はトリズブをコインや印章に使用しており、「960/963-1015年のキエフ大公ウラジーミル大帝の銀貨」にその証拠があります。また、「ゴロドニツキーの宝物」からのキエフ・ルーシ時代のコインにもトリズブが見られます。

次の写真では、「ゴロドニツキーの宝物」(1010年から1019年)からのキエフ・ルーシ時代の38枚のコインのうち2枚にトリズブのイメージが見られます。

ウクライナ人にとってトリズブは、「В О Л Я」(自由を意味する)という言葉が暗号化された形としても知られています。

日常生活では、特に「水の祝福」の宗教的祭りで村の壁や門に描かれる伝統があります。トリズブは、キリスト教と異教のシンボルの組み合わせであり、ウクライナ人にとっては国の権力、紋章、国民および宗教的シンボルの象徴です。

このように、トリズブはウクライナ人にとって歴史的に形成された重要な紋章であり、国家形成の要素としての役割を果たしています。

ちなみに私には唯一のタトゥーがあり、これはトリズブです🫶🇺🇦

ウクライナの国歌『ウクライナは滅びず』

歌は侵略に苦しんだ🇺🇦の民族たちの自由への渇望そして独立への闘いを象徴しています。

🇺🇦が1917年のロシア革命の際に初めて独立を宣言した際、『祖国への愛情と誇りの表れ』として国歌に選ばれました。

1991年実際にソビエト連邦から独立した後も、🇺🇦の人々は再びこの国歌を選びました。

ちなみに、動画はゼレンスキーが大統領になった時のものです。
歌詞の中で登場する『コサック』とは中世に存在したウクライナの戦士たちのことです。

ウクライナ語のユニークな文字『Ї』


ウクライナ語のアルファベットには、特別な文字「 Ї 」があります。

これは他スラヴ語系にはないユニークな文字で、13番目に位置します。

長い間、ロシア政府によって使用が制限されてきましたが、この文字があるおかげで、ウクライナ語の魅力的なメロディーさが引き立ちます。

🇺🇦語には日本人にとって聴き取りと発音が難しいアルファベットが多くあります。例えば「і ,и ,й」が挙げられます。

どれも日本語で聴くと、「イ」に近い音になります。そのため、発音の違いビデオを作成しましたので、がんばって違いを聞き取ってみてください。

https://x.com/anastasiia1117/status/1785951154784047270?s=61

Ї という文字は、単語の初めや中間、終わりで使われます。

・їсти食べる
・Поїзд 列車
・Україна ウクライナ 等。

日本語のカタカナでは完全な対応がありませんが、「ジィ」か「イィー」が近いでしょうか。

この文字を通して、様々な歌や詩が作られ、ウクライナ文化の中で大切な役割を果たしています。

また、こうしたアルファベットを通して一部メディアではフランス語、ペルシャ語に次ぐ第三のメロディーな言語やイタリア語に次ぐ美しい言語としても評価された過去があります。(1934年パリ・美言語コンテスト)

ウクライナ語の特別な文字「ї」は、単なる文字以上の意味を持っています。

実は、この文字はウクライナのマリウポリ市がロシア軍に不法占拠された際、自由と抵抗の象徴となりました。
その重要性を讃え、いくつかの場所に記念碑が建てられています。

たとえば、2013年にはウクライナのリウネという町に「ї」の記念碑が新たに設置されました。

また、私の母校であるキーウ国立大学の文学部の入口にも、「ї」の文字を形どった記念碑があります。

この場所は私にとっても特別な思い出があります。ここで私は日本の文化について長く学んだのです。その記念碑には、2022年12月31日のロケット攻撃で損傷を受けたキャンパスのステンドグラスの断片も組み込まれています。これにより、文字の歴史的な重みだけでなく、美しさも表現されています。

ウクライナの文化遺産ブラバ


ウクライナの侍ともいわれる戦士コサックの党首の時代にまで遡ると、ブラバと言われる宝器が出てきます。

昔は軍の旗竿として使われ、今は権力と尊敬のしるしです。

ブラバは、地域の職人が作ります。
木や金属、ガラス、宝石で作られることも。
それぞれのデザインには意味があります。幾何学模様や植物、🇺🇦のシンボルなどが入っています。

今も、ブラバは大事なものです。祭りやアーティストのショー、お祝いでよく見かけます。そして、大統領や権力者たち、ゼレンスキー大統領も含め、就任の際にブラバを受け取る伝統があります。これは、新しいリーダーが国の文化や伝統を受け継ぐ象徴として重要です。

観光客は、ブラバのお土産が好きです。ブラバはウクライナの誇りで、長い間、人々の心に残る特別なものです。ウクライナの素晴らしい文化遺産です。

ちなみに私たちの制作する、ユネスコ無形文化遺産に登録されたペトリキフカ塗りを施したブラバもあります。

コラム2:日本とウクライナの血液型表記

日本でO型と書いてあるのを見たとき、ウクライナ人にとって「0(ゼロ)型」と思う時もあるでしょう。というのも、日本とウクライナでは表記に大きな違いがあります。

日本🇯🇵:A型・B型・O型・AB型
ウクライナ🇺🇦:I型・II型・III型・IV型

で表記されます。
日本ではA型が最多ですが、ウクライナでは、OとA型だけがほとんどだ!

コラム3:日本でウクライナの民話に触れる

『てぶくろ』

近所の絵本屋さんで見かけた子供向け民話『てぶくろ』。これ、実はウクライナの民話って知っていましたか?!

寒い冬におじいさんが落とした1つの手袋をたくさんの動物達が見つけます。
みんなで一緒に中に入って温まるという私たちの心も温めてくれるお話です。

図書館や書店で見かけたら、ぜひ一度読んでみてくださいね♪

ウクライナの民族衣装ヴィシヴァンカを着たキツネ
ヴィシヴァンカを着たカエル

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?