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久しぶりに学校へ行った娘が話した学校での出来事。

娘の話を聴いていたら・・・
この本を引っ張り出して読んでみたくなりました。


久しぶりに学校に行く子にとっては、学校での体験は新鮮・・・
というか驚きの連続のようです。
だけど、中にずっといると「これってどうなの?」ってことが「またかぁ、でもこんなもんだよね」と考えなくなってゆくのかもしれない。

必要な指導なのか、または・・・

登校した日は外部講師の人権授業があり、授業の終わりに担任が、

「今日手を挙げなかった人は立ってください」

5.6人いたようで

「せっかく外部から来て授業してくださったのに・・・」

というような内容のことを言われたとか。

些細なことと言われてしまいそうですが、娘みたいに学校から離れると、そういうことにびっくりしてしまうんだと思います。
大人になってからのセミナーってこういうことは起こらないのに、なぜ学校はこういうことが昔から当たり前なんだろう?

指摘することもまたマルトリートメント

だけど、そこで

「それはマルトリートメントですよ!」

と指摘することもまたマルトリートメントになるのですよね・・・

こうしていざ学校となると、こういうことが昔から当たり前。だからこの担任の先生のせいだけではありません。
こうしたマルトリートメントをしていることに気が付かないことは全国で多々あることでしょう。

全国の先生がこれでいいのか悩んでる

この本を学校の先生が読まれた感想をシェアされているYouTubeも興味深かったです。

こちらの白黒先生も、ご自身で色々思い当たっておられるし、仕方なかったというのも分かる。

ひとりの先生のせいではなく、日本の教育の根本的なところに何かあって、こういうことが日常で起こり、子どもたちは先生に不信感を抱くのかな。
不信感を抱きつつ、でもそんなもんだ、仕方ない、何か言われないようにびくびくしてして過ごしていたりすることは起こりうると思うなぁ。

これ言っちゃうと過保護かモンペになる不安

この日はたまたまスクールカウンセラーさんの予約をしていたので、(4年ぶりに予約)この話しをしましたが、カウンセラーさんはどう感じられただろう?
これって過保護って思われる人もあるでしょうねぇ。
まぁそうなんでしょうけど。

とりあえず私は

「そうだったんだね、そんなことがあったんだね」

と返して、娘をギューっと抱きしめたのでした。

過保護でも、モンペでもいい。
ただ、そう感じただけ。
子どもも、私も。
そう感じたことは事実で、誰に否定されるものでもない。
自分の領域には誰も入れないから、そう感じたことを自分でかき消す必要はないのかもしれない。
そしたら苦しさは少し減ると思うもの。

誰のための授業なのかを考える

専門家の方に聞くと

ゲストのための時間であって子どもたちのことはどこにあるのかな。
子どもらの授業態度=担任の力 という思いも強いのかな。
これが学級の日常だとしたら・・・

というお答えでした。
こういうことは個人レベルで、全国のあちこちで起きていること。

では、TOPの意識はどうなんだろう。

教育委員会や校長先生の見え方

市の総合教育会議で、不登校の子の印象について、市教委や校長が語っておられたこと

他人とのコミュニケーションを苦手としている。
他人とのコミュニケーションをあきらめている。
社会で自立するには、コミュニケーションが必要不可欠。
コミュニケーションの訓練、練習ができる場や対応が必要。
人と触れ合うことは楽しいと感じられる支援体制が必要。
連絡がとりにくい家庭がある。アクセス100にしたい。
人と関わらないで済むように通信制高校を選ぶ子が増えている。
無理に学校に行かなくてもいいと言う親が増えている。

誤解と無理解と押しつけ

子どもが不登校になってみないと分からないことがたくさんあるのは当然で、そうじゃなかったら分からないというのは分かります。

でも、子どもが不登校になって、極限のところまで行ったので、その場所から見ると

「どうしてそんなことを簡単におっしゃってしまわれるのだろう・・・」

と、悲しみしかありません。

上記のことは、問題点として挙げられているだけかもしれませんが、見え方が偏っていませんか?と思いますもん。
議事録をみていると、TOPの方々の方がむしろ良いコミュニケーションを取ろうとする気が実は無さそうに思えてしまいます。
結局親子は立ち去るという選択肢しか見当たらなくなるのです。

それなのに
アクセス100?

ちょっと学校と電話したくらいでアクセスしたとカウントされたくないなと思う世の中の現状です。

コミュ障なのは人を避ける子どもではない

子どもたちは立ち去っただけ。
この大人のコミュニケーションはおかしいから、ここから立ち去ったほうが良さそうだ。
と感じる子どもは少なくないのかもしれない。

教室で起こるマルトリートメントも含め、こういうことを逆説的に考えてみるのも有効じゃないだろうかと思うのです。
だって、大人たちのコミュニケーションの仕方は大丈夫なんだろうか?
と思いますもん。

コミュニケーションの訓練が必要なのは大人たちなのかもしれないんじゃないかと思うのです。

ホントのコミュ障は子どもをとりまく大人たちなのかもしれません。


学校ってそういうもんだ

ちなみに、この日は文房具を買いに行き、気分新たに学校に行こうとしている娘。

「学校ってそういうもんだ」と言ってはいませんが、自分の中で折り合いをつけ、「生きてると色んな人がいるよね」くらいな感じで学校に行くチャレンジをしているようです。

信頼できる人がいるて
自分を分かってくれる人がいるから自分は大丈夫!

となれば最強ですね。

最低限親は、子どもにとって信頼できる人のひとりにランクインできるように。
親が信頼できない状態だと、子どもは人生をかけて自分の答え合わせをする時間が長くなってしまうんですよ。

学校に行かないことって、ただ嫌なことから逃げてるだけじゃないんです。
学校に違和感を感じることはワガママなことじゃないんです。

少なくとも親がそれを分かってあげなければ・・・
そして昨日も自分で決めて学校へ行きました。

そしてまた、先生方が気づかないであろうマルトリネタを持って帰ってきました。

マルトリ予防士にオレはなる

ちなみに、タイミングよく昨日はマルトリ予防士育成講座を受講をスタート。

「親が守られること」
を強調されてて、救われた思いがしました。

だって、私が保護者向けリーフレットを作る目的は

「親が守られないと、子どもは守れない」

からです。

保護者向け不登校リーフレット制作&配布の
旅はつづく・・・

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