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宮子(86歳)日記。


祖母が認知症だとわかってから、かれこれ4年以上が経った。

発覚したきっかけは、大学4年生の夏にひさしぶりに祖母の家を訪ねたこと。真横に住んでいるのだけれど、なにかしらの用事で毎日わが家に来ていたので、こちらから行くことはなかった。ひさしぶりに家を訪ねると、あれだけきれい好きだったはずなのに、家中がホコリまみれになっていた。

いま現在も、母屋と離れみたいな距離で、同じ敷地・別々の家に暮らしている。デイサービスには週に3回通いながら、息子夫婦(わたしの父母)の補助のもと、買い物をしたりごはんをつくったりして、それとなく自分のチカラで暮らせている感覚をもてている。できないことが増えている自覚はあるみたいだけどね。


怒りっぽい時期もあったけど、いまはすこし穏やか。調べてみれば、怒りっぽさは認知症の初期症状だった。忘れてしまう自分と、一生懸命戦っていたのだと思う。

3分のあいだに、同じ話をなんどもするのはもう慣れたかな。はじめの頃は「それ、さっきも聞いたよ」といってしまったのだけど、最近はこちらも毎回返答を変えてたのしんでいる。

良くも悪くも、なにを言っても忘れてしまうから、発症時よりはいい距離でいられるようになったんだと思う。そうなるまでが大変だったし、いまも時々ぶつかりはするけどね。



この年末年始は「入れ歯が痛い」ということをなんども訴えていたはずなのに、いざ歯医者の予約をすると「今日はしんどいから行きたくない」といいはじめた。

そういうときは、「歯が痛いのと、痛くないのどっちがいい?」なんて子どもをあやすような口調で選択肢を投げかけてみる。すると、「痛くないほうがいい」というので「じゃあ、歯医者に行かないとね」とうながす。まだ子育てはしたことがないけれど、声のかけ方には近いものがあるのではないかと思う。


そんな風に祖母のことをあれこれ書いていたら、「お風呂のスイッチを見てほしい」とやってきた。“もったいないから消しなさい” といわれて育った祖母達世代からすれば、スイッチのところに四六時中ライト(電源オフが赤、オンが黄)がついているのが気になるみたいで、いつも給湯器の電源を消してしまう。

こういったことは、テレビのリモコンやラジカセでも起こることなので、日常茶飯事といえばそうなのだけど、どれも祖母が小さい頃からあったものばかりではないから、考える力が弱くなってしまった祖母にとってはだいぶ複雑なのかもしれない。


いまわたしができることは、一緒にたのしい時間を過ごすことだと思う。たとえ祖母が忘れたとしても、わたしの記憶のなかには「ごきげんの祖母」がちゃんとのこるもんね。

そう思って、カメラを向けたり背中をなでたりしながら、祖母がよろこぶことを日々考えている。わかってはいても、相互コミュニケーションができないイライラを感じることはあるけれど、声のかけかたひとつで全然表情がちがうから、わかりやすくていいなと思う。



いつか、わたしの名前も思い出せなくなる日が来るのだろうか。

いまのところ、入れ歯がいたくても好物の甘栗を食べられることや、「あなたの名前はなんですか?」という問いかけに「美人です」と返せるだけのチカラはあるみたいなので、もう少し経過を観察してみようと思う。

ちなみに、先日見た祖母の日記の書きはじめが「雨が降りそうな空だけど、雨は降らない。」となっていて、なんだか物語がはじまりそうだった。

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