わたしが好きなもの。
自分が好きなものについては、案外わかっていないことのほうが多い。
高校3年生までは「バスケ」が好きだと即答していたと思う。
小学2年生からずっと打ち込んでいたから、それ以外のものを「好き」になる時間はほとんどなかった。ほんとうに、寝ても覚めてもバスケットの日々。なかでも、高校3年間はとくにバスケ漬けだったしね。
朝6時に家を出て、最寄り駅までの車のなかで母が握ってくれたおにぎりを食べる。7時に体育館に着き、眠い目を擦りながらバッシュを履き、シューティングをはじめる。授業の合間にお弁当を食べて、昼休みも練習。寝れそうな授業では仮眠をとり(すみません・・でも、内申点はそれなりによかったので許してください)、休憩時間にエネルギー補給をし、放課後の練習へ。体育館を出るのはだいたい20時を過ぎていた。
オフは火曜日の放課後だけ。
そんな生活だったけれど、バスケがほんとうに好きだった。公立の強豪校へ進学したので、スタメンで試合に出ることはほとんどなかったけれど、それでも好きだった。
なんでなんだろうな、と思う。
プレー中の駆け引きがおもしろいから? 練習を重ねることでスキルアップできるから? 一生ものの仲間ができたから?
どれも正解のように思えるし、どれもすこし違うように思う。
結局、バスケットボールは大学サークルでも続けることになるのだけれど、真剣なお遊び程度だったかな。振り返ってみても、バスケだけに打ち込んでいた時間はとても贅沢だったんだと思う。
いま、わたしが好きなものってなんだろう。あの頃みたいに、これがなかったら生きていけないほど好きなもの。夢中になれるほど好きなこと。
写真? 旅? 食べもの? 仕事? 書くこと?
すぐに思い浮かばないのは、どれもほどほどに好きだからだと思う。同時に、すべてを好きでいられる距離でいようとしてしまう自分もいる。
発想を変えてみると、いまの暮らしからどの要素がなくなったら息苦しさを感じるのだろう。消去法で探すものではないかもしれないけれど、そのくらい「好き」を見つけるのはむずかしい。
困った。困ったぞ。
多分わたしには、好きだと言い切れるものがない。目をつむって、いいなと思う「瞬間」を思い出せばもう少し「好き」が見つかるのかな。
好きな瞬間だったら、確かにいくつか思いつく。
離陸の瞬間とか、さば寿司を食べている時とか、祖母との会話とか、たのしみを待つ時間とか。
特定のものもあれば、「あぁ、いまこの瞬間好きかも」みたいなこともある。
そうやって、あぁでもない、こうかもしれないと考える時間も結構好きなんだろうな。
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