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2019年1月の記事一覧

食パンの耳のようなお話。

・「わからないもの」に対するスタンスのなかにも人柄はあらわれる。それは決して、「わるいことを試みよう」としている人を、どうにかわかろうとしている話ではないのだけれど、そこに対して壁をつくりたい人とのやりとりはちょっとむずかしいなと思った。 ・わたしには基本的に「理解したい」という気持ちがあるのだと思う。合意はできないかもしれないけれど、いろんなひとの考え方や生き方を理解したい。どちらかと言えばほんとうは、じぶんがやることにしか興味がないような、結構つめたい人間なのだけどね。

My brain is almost gone!

昨日ことですら、すでに遠い昔のことのように感じてしまう。気がつけば、半月ほどまともに休んでいなかった。 そんな日々だからこそ、毎日のなかに息をぬける時間が必要なんだなと思う。そういう意味では、地元にはオアシスがたくさんある。 決して休みがないわけではなくて、休みの日に個人の仕事を入れたのはわたしなので、えっと、まぁ、これはじぶんの責任なのです。 倒れない程度に、ね。この先のおもしろいことを棒に振ってしまうよりも、健康がいちばんですから。 でも、すこしアングルを広角にし

でもやっぱり、趣味だから。

どれだけ時間がなくても、無意識のあいだにしてしまうこと。 いまのわたしにとってそれは、「地元」を発信することなんだと思う。TwitterもInstagramも、時々更新するFacebookも、気がつけばこの4年くらいずっと「亀岡」と言い続けていて。 だからどう、という話ではないのだけれど、なんだかんだで、実際にここまで足を運んでくれる友人がいるのはやっぱりうれしい。 そこから生まれた仕事や、出会えた人たちがいることは、本当に財産なのだと思う。 どこまでが仕事で、どこま

気まぐれロボット。

・同じまちに生まれていても、地元に対する考え方は異なる。それは当たり前のことだと思っている。ただ、そのまちのどこで育ったか、というところはすこし影響しているのかもしれない。 たとえば、小さい頃にその土地に続いてきた歴史や文化を感じているかどうか。わたしたちのような農村では、畑や田んぼ、祭りや人々の知恵などがそれにあたると思う。 先日、はじめましての地元出身者に出会った。 身近に地元の新興住宅地に家がある友人があまりいなかったので気づいてなかったけれど、もし、そういった場

Off to somewhere.

居心地のいい場所から、すこしずつ離れようとしているのかもしれない。 先日、潮目が変わってきた気がすると感じた理由はこれなんじゃないかな。 どこにいくか、どんなことをするのか、そんなことはあんまり考えていないけどね。 とてもぜいたくなことは承知のうえで、いまの環境を手放すための準備をはじめようとしていて。 いちばんの理由は、もう一度身1つでチャレンジしたい気持ちが、だんだん大きくなってきたこと。 もちろん、明日すぐにどこかにいくようなことではなくて、2年後を見据えた話

スクラップ&ビルド。

とうてい「落ち着いた」とは言いづらい状況なのだけど、少しだけ片付いてきた感がある。(とはいっても、片付いたのはほんの一部で、やらねばならぬことは山積みなんですけどね。) いまはそういうタイミングなのかもしれないけれど、じぶんの中で毎日なにかが壊れて・生まれていくような感覚があって。 ものすごい勢いで、というわけではないのだけれど、潮目が変わりつつある気がしていて、でもそれが一体なんなのかいまはまだわからない。 毎日やるべきことはやっているのに、終わりが見えない。 それ

ほっとする時間。

ひとつのことに思いっきり打ち込むためには、「ほっ」とできる時間が必要だなぁと思う。 結局、バスケットボールに打ち込んでいたあの頃と、日々の過ごし方はなんにも変わっていないんだなと書きながら思ったのだけど、あの頃はもしかしたら「移動」というのが、ほっとする時間だったのかもしれないな。 厳しい練習を終えたあとに、自転車でくだる帰り道がとくべつに気持ち良かったり、京都市内から地元へ向かう電車の、最後のトンネルを抜けた瞬間の言葉では説明できない安心感だったり。 でも、そういった

手足をうごかすたのしさ。

とにかくいまは、手足をうごかし続ける。 理由は簡単で、目の前に結構たくさんやらないといけないことがあって、それを1つずつ片付けているところだから。 手足を動かさないと、なにも終わらない。 そのなかで、ただただ追われているだけだと多分つまんないし辛いのだけど、実はいま、結構たのしいんですよね。 たぶん、「やりたくない」と思うものがない状態だからなんだと思うけど、とにかくあたまの中は渦潮状態で。そんな感じだったとしても、睡眠は削らないけどね。 とりあえず、チャットワーク

誕生日プレゼント。

誕生日なのに! と言われながら、いつも通り仕事をしていたのだけれど、今日は仕事の予定を入れて本当によかったと思える1日だった。 わたしは、地元の空が中学生の頃から好きだった。黄金の稲穂と彼岸花の風景は、小学校の写生の時間に描いてから毎年ずっとたのしみにしている。 こんな風に小さい頃から感じてきた地元の価値を、ようやく胸を張って「いいところなんです」と伝えられるようになってきた。正直、すべてが好きだとは思えないけれど、だれになんと言われたとしても、わたしはやっぱりこの場所が

一滴のVoyageを。

・ただ流れゆく日常も、「Voyage」の要素をほんの一滴垂らしてみるとすこしだけ、いつものそれが違ったものに見えてくる。劇的に何かが変わるわけではないけれど、ほんの少しだけ日常を旅してみてはどうだろうか。 だれかの日常におじゃましたり、わたしの日常を案内したり。 しばらくのあいだ、長期で旅に出ることがむずかしいとわかっているからか、すこしばかりこの辺のことが上手になったと思う。 ・我ながら、よく飽きないなと思う。 こんなにも新しいもので溢れ、よっぽど刺激的で、同世代の

はなれてみると、よくわかる。

東京はたしかに刺激的だけど、わたしはやっぱり広い空の下で暮らしたいなって思う。 東京にはまだまだ知らないことがいっぱいあるし、一生のうちにあと何回来るかはわからない。でも、住むことはないんだろうな。 せっかくなので、明日は仕事を片付けてからこっちでしかできなさそうなことをしよう。 会いたいひとに会ったり、行きたい展示を見に行ったり。 #移住 #メモ

どうぞご自由に。

「どうぞご自由にお持ち帰りください」からはじまるコミュニケーションはあったかい。 よく見ると「ありがとうございます」と書いてあったので、わたしも横に書いておいた。 ほんとはね「わたし」というものをオープンソースにして、活用したいひとに煮るなり焼くなり好きにしてもらうのがベストだと思ってる。 もちろん、わたしにも「意思」や「時間」があるので、すべてを行うのはむずかしいのだけど、なるべくオープンソースにしておきたい。 じぶんが思ってるじぶんと、外から見たじぶんがすこし違っ

つづけた先に。

なにがあるのか見てみたい。 はじめから上手くいくことばかりではないけれど、あの日、この場所を選んだことで動きはじめたことがきっとあるんだろうな。 見えているものも、まだ見えていないものも。 これまで闇雲に動いてきたわけではないけれど、計算高くいられるほど賢くはない。たくさん悩んだし、いろんな壁にぶち当たってはきたと思う。 でも、そういった壁みたいなものを乗り越えたよろこびの方がずっと大きくて、ちょっと大変だったことなんてすぐに忘れてしまう。よくもわるくも、すごく都合の

Oh, my ブレインさんよ。

めずらしくヒョエエ〜という毎日ですが、なにをどう足掻いてもとにかく1日1日やり切るしかない。 あたまの中では1月がすでにおわりそうなのですが、この調子で2月、3月もあっという間にすぎてゆくのだろうな。あと手足が2セットくらいあれば、きっとすぐに終わるのに。分身の術が使えないのが無性にくやしい。 なにごとも、手足を動かす前がいちばん不安だけど、実施に動かしはじめてみればたぶん、そんなこともないはずで。 そんな調子で、「大丈夫、できるできる」と無意識のあいだにうなずいている