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2018年8月の記事一覧

ちいさなまちで暮らすわたし達のアイデンティティ。

自分たちの「アイデンティティ」をみえるかたちにしてみたら、おもしろいのではないか。 そんなことを考えているとついつい手が滑ってしまい、奇妙なキャラクター「かめじん」が生まれました。 かめ-じん 【亀人】 (名)亀岡で暮らす人たちが、自分たちのことを呼ぶときに使うことば。 この度、「かめじん」にあたらしいなかまができました。微力かもしれないけれど、かめじんを通して「亀岡」のお出かけがたのしくなったらいいなぁ。(ありがたいことに次のなかまを描きはじめているところです。)

どんな人生もきっと、笑い話になる。

それを教えてくれたのは「さくらももこ」さんのエッセイでした。 小学生6年生の頃、はじめて手に取ったエッセイ。「ちびまる子ちゃんの作者の本だ〜!」くらいの感覚で手に取っていたのだけれど、これが本当におもしろくて。おばあちゃんからプレゼントしてもらった図書カードを片手に、本屋さんに足を運んだっけ。 当時抱えていた、だれにも話せなかった小さな悩み。 「ひとりずもう」のなかで、さくらももこさんが同じ悩みをもっていたことを知り、とても嬉しくなったのを覚えています。自分だけじゃなか

14歳のわたしへ。

14歳のわたしへ 14歳のわたしは、誰よりもまわりの目に敏感な女の子でした。きっと、「嫌われたらどうしよう」とか、「みんなとふつうに仲良くしたいだけなのに」とか、いろんな感情と毎日向き合っている頃じゃないかな。 仲良しグループをつくることや女子特有の派閥みたいなものが苦手なのはいまも変わりません。大好きなバスケットボールだけに集中したいのにひとの顔色をうかがって、うまくプレーに集中できなくて。まだ1年以上先なのに、 “こんなところ卒業して、はやく高校生になりたい” “もっ

最期にたべたいもの。

それは、さば寿司。 18歳の時にバイト先で出会ってから、すっかり虜になった。 さば寿司への愛についてはまたどこかで書こうと思うけれど、いまはまだ、なぜ好きなのか・どう好きなのかはうまく言語化できていない。でも、さば寿司を食べたら確実にHPが回復する。細胞レベルで求めている。 「最期にさば寿司がたべたい」ということは、噛むための歯を残さなければならないし、固形物を飲み込むために、食道を鍛えておかないといけない。とにかく健康でいなければいけない。100歳まで生きるつもりだか

これは、なにに見えますか。

幼稚園の授業で「半円」だけが描かれた白い紙が配られた。 どんな向きでもいいから、半円を使って好きに絵を描いていいと。 多くのともだちはスイカを描いた。 何人かのともだちは、紙を逆さに向けてアイロンを描いた。 ほかの何人かのともだちは、紙を縦に向けてお月さまを描いた。 わたしは迷った挙句、スイカに取っ手をつけることにした。 はじめに思いついたのはおそらくスイカ。 でも、みんなと一緒になるのが嫌で、紙をひっくり返して皮に取っ手をつけた。 翌週の授業参観で、それぞれ

私有物のパブリック化。

パブリックな空間の活用方法を考えることもたのしいけれど、私有物のパブリック化をお手伝いするのもたのしいと思う。 古民家や空き家、空き地、耕作放棄地なんかをパブリックスペース的に使えたら、いろいろ広がるんじゃないかな。おもしろい地域はそんなことをどんどん進めていると思う。 わたしが地元に、なにかあたらしい場所をつくるとしたらきっと「公園」に近い場なんだろうな。各々が各々の時間を過ごしつつ、時々クロスするような。大西さんのnoteを拝読しながらそんなことを考えていました。

まち並みという「文化」を歩く。

どの国にいたとしても、吸い込まれるように路地を歩く。 細い道の両側に、ぎゅうぎゅうに犇めき合った建物の群を眺めながら、「もしも自分が、このまちの住人だったら・・」と勝手に想像する時間が好きなんだと思う。 どこかのアパートの1室で、今日もだれかが暮らしている。 仕事をしたり、料理をしたり、掃除をしたり、友達と話したり。 地元の方にとっては当たり前の日常なのだけど、そういった “交わることはないだれか” の生活を想像しながら歩くのがたのしくて。 :::::::::::::

今度は、どんなテーマで旅に出よう。

そんなことを、時々考えてみる。 建築の方はおそらく建築物を見るだろうし、シェフはおいしいレストランを巡るだろう。職人はものづくりの現場を訪ねるだろうし、開発経済学を学んでいる学生は、発展途上国を訪れるだろう。 「食」「写真」「文章」「小説」「フリーペーパー」「海」「山」「公園」 思いついたことばを雑に並べているだけなのだけど、こういった明確なテーマがあるといいなと思う。 わたしにはいまのところ、はっきりしたテーマがない。 写真を撮るのは好きだし、おいしいものを食べる

季節がまた、変わってゆく。

今年の夏もやっぱり暑かった。 だらだらと汗をかきながらいつのまにかお盆が終わり、高校野球が幕を閉じ、10日が過ぎれば9月になる。 毎年のごとく、7月に余裕をかまして「まだまだ夏だし、これからたのしめば大丈夫」なんて思っていたら、気がついた頃にはほとんど過ぎ去っている。 なにをしていたかなんてほとんど記憶にない。忙しすぎて、というわけではなくて、ただただ、いつもの毎日を過ごしていただけのこと。 そういえば、地元の有名な和菓子屋さんのソフトクリームだってまだ食べられていな

「手間」の数だけ生まれる会話。

どんな時代であっても「会う」というコミュニケーションには、きっと勝てない。 ここ数日、ひさしぶりにいろんな人に会っています。打ち合わせ、お仕事の依頼、偶然の出会いなどなど、なんて言ったらいいのでしょうか、この3、4日の間に次につながりそうな「会う」がたくさんありました。 実際に会った人たちとも、SNSの「いいね!」のやり取りや、オンラインで連絡は取り合っていたので、なんとなくコミュニケーションを交わしていた感覚だったけれど、やっぱり「会って話す」の熱量には勝てないなって。

ホテルでモノは売れるのか

今月のCasa BRUTUSの特集が「LIFESTYLE HOTE」ということで、早速読んでみました。 まだまだ知らないユニークな宿がたくさんあることに思いを馳せつつ、メディアとしてのホテルが盛り上がってきていることを改めて感じる特集でした。 中でも、小売の人間として気になったのが「STAY&BUY」というまとめ。 以前から店舗の進化系としてホテルというかたちがありえるのではないかと考えていたので、すでに実現しているホテルがあることに感動と驚きを覚えました。 紹介され

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共に育つ「まちづくり」。

「まちづくり」と呼ばれる分野で、地元で、地域と関わりながら働いていているのですが、地域に「根差す」ということばがすこしニガテです。 ね‐ざ・す【根差す】[動サ五(四)]《古くは「ねさす」》 1 植物が土の中に根を伸ばす。根づく。「地中深く―・した松」 2 物事が定着する。「環境保護の運動が―・した」 3 そこに基盤を置く。また、原因となる。もとづく。「地元に―・した企業」 goo国語辞書より なんだか、そこから一歩も身動きが取れなくなりそうで。 地元ではまだ、20代でこ

未だに、友達の誘い方がわからない。

お恥ずかしながら、ひとを誘うことが年々むずかしくなっている。それがたとえ、友達であったとしても。 小学生の頃みたいに「今日遊ぼ〜!」のひと声がなかなかかけられない。(なんて思ったけれど、よくよく考えたら小学校のときから友達に声をかけた記憶があまりないかもしれない。) 高校生になってからは部活三昧だったので、バスケ部のメンバーと朝から晩まで一緒だったし、オフの日に遊ぶメンバーもルートもだいたい決まっていた。 大学生になってからは、サークルまでの時間を一緒にすごしたり、学校

まずは「はじめやすい」から。

「はじめるなら、地元で」がゆるやかに増えたらいいなと思う。 いろんな国を歩いて、いろんな場所で修行を積んで、なにかをはじめる人が増えたらきっと、このまちはもっとおもしろくなる。 いま、すでになにかをはじめられていている人たちは、ここでお商売を通して、お金以外の「見えない」ものを交換していて。それがずっと羨ましくて、わたしも気がついたら小さく小さくはじめてた。 「見えない」ものには、「おいしさ」「たのしさ」「うれしさ」「あたたかさ」、「笑顔」「会話」いろんな要素がある。