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14歳のわたしへ。



14歳のわたしへ


14歳のわたしは、誰よりもまわりの目に敏感な女の子でした。きっと、「嫌われたらどうしよう」とか、「みんなとふつうに仲良くしたいだけなのに」とか、いろんな感情と毎日向き合っている頃じゃないかな。

仲良しグループをつくることや女子特有の派閥みたいなものが苦手なのはいまも変わりません。大好きなバスケットボールだけに集中したいのにひとの顔色をうかがって、うまくプレーに集中できなくて。まだ1年以上先なのに、 “こんなところ卒業して、はやく高校生になりたい” “もっとバスケットボールだけのことを考えたい” と思っていたのを、いまでも覚えています。


先に伝えておくと、中学生のわたしはともだちと上手に付き合おうとしてばかりで、心から気を許せるともだちは見つかりませんでした。うわべだけの「ともだち」は、長続きしないということかもしれません。

もしかしたら、14歳のあなたも耳にたこができるくらい聞いているかもしれないけれど、「誰かの悪口を言いながら仲良くなったともだちは、誰かの悪口を言いながら離れていく」とよく母が言っていました。そうやってできたともだちは、“ほんとうのともだち” にはなれないみたいです。

25歳になったいま、「ともだち」という言葉を耳にしたときに思い浮かぶのは、高校や大学でできたともだちが多いです。

それから、25歳のわたしは、いまのあなたほどまわりの目を気にしなくなりました。こころが少し成長したみたいです。そうなれたのは、自分がこころの底から好きなことや、興味があることを大事にしていたからだと思います。これはすこし、先輩になったわたしからのアドバイスです。


あとね、これはこっそり伝えたいのだけれど、「ひとの顔色をうかがえること」も案外ひとつの才能なのかもしれないなって思います。そんな自分がいやな時期があったのは確かだし、はやく変わりたいと思っていたのだけど、ひとの感情に敏感になれることはすこしだけ、いまの仕事にも役立っているように思います。

なんの仕事かはヒミツだけど、お話を聞きながら、ひととひとの間をつなぐようなことをしているんです。


だからあなたは、あなたの思う歩幅で、あなたが歩きやすいスピードで歩いたらいい。

いますぐじゃないかもしれないけれど、ちゃんとどこかで見ていてくれるひとも、趣味が合うともだちも、志を語れるだれかも、ちゃんと見つかるから。

25歳のわたしは、ちょっと険しくてたのしい道を歩いています。


11年後のあなたより


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本日のお写真は、中井 和味さんからお借りしました!すてきなお写真をありがとうございます。


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