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小野伸二という衝撃 Footballがライフワーク Vol.27

ボールをまたいで背後のマーカーをいなしているのは、全盛期のカズだろう。涙のVゴールを決めた福田正博、アンドレス・イニエスタの来日初ゴールに、大久保嘉人や佐藤寿人のゴールパフォーマンスが続く。NHKの中継のオープニング。曲はワールドカップに引き続きKing Gnuの「Stardom」だが、アニメーションは30周年を迎えたJリーグ版にリニューアルされているのが心憎い。冒頭のリフティングドリブルはピクシーことドラガン・ストイコビッチ、リフティングしながらターンするのはレオナルド。リーグの黎明期、華麗な美技を披露してくれたのはもっぱら、大物外国人プレイヤーだった。

30周年の今シーズンになって喜ばしいのは、わが神戸が3連勝で快調に滑り出しただけではない。Jリーグとともに間もなく30年を迎える観戦キャリアのなかで、もっとも衝撃を受けた日本人プレイヤーの姿を見かける機会が続いているためだ。Numberの前号や、「サッカーの園」の最新回、そしてウォーミングアップでの左足ヒールによる巧みなトラップを紹介した動画付きニュース。丸刈り頭に白いものが混じるようになっても、少年のような愛嬌をたたえた笑顔は変わらない。リーグ創設6年目の1998年、以前ならジーコをはじめとするビッグネームの専売特許だった超絶技巧、ピクシーやレオナルドに勝るとも劣らない華麗なプレーを見せつけたのが、清水商業高校を卒業したばかりの小野伸二だった。

天才、異次元、100年に一人。巨大な才能とは、時節も流行も超えるものなのだろう。You Tubeでその名を検索すれば、いまなお賛辞とともに眩いばかりのプレー動画を堪能できる。パスを通すようなシュート。シュートを放つようなラストパス。逆足のはずの左足でも遜色のないコントロール。アウトサイドまたはアウトフロントを多用して操られたボールは生命が宿ったようで、ベルベットと形容されるタッチの柔らかさは、世界水準に照らしても比類の無いレベルだ。

小野には、ウェスレイ・スナイデルやロビン・ファン・ペルシーといったオランダのレジェンドまでもが衝撃を受けたという。ともども、UEFA杯を制したフェイエノールト時代を目の当たりにしたためだろう。しかしながら、小野がオランダに渡ったのは2001年、すでに最盛と言える状態ではなかった。その2年あまり前の1999年7月、シドニー五輪のアジア一次予選。フィリピン戦でカニばさみ紛いの悪質なファウルに晒され重傷を負って以後、再発への恐れも相まってか、そのプレーからは少なからず輝きが失せた。プロ入り直後に出場したフランスワールドカップのジャマイカ戦、投入早々ツータッチで相手二人の股を抜くなど、常識を超えてきた発想も、いつしかその枠内に収まっていった。それにも関わらず欧州でも爪痕を残したのだから、才能の大きさははかりしれない。

「すでにラモス瑠偉より上手い」。それが、もう四半世紀以上前の高校選手権で当時の桐光学園高校の10番を初めて観た感想だった。セルティックで英雄となり、Jリーグでは22歳でも35歳でもMVP。昨シーズン限りで引退するまで永くトップレベルを維持したという点では、中村俊輔こそ日本歴代で最高のテクニシャンだろう。ただ、個々のパフォーマンスに"マックス値"や"瞬間最大風速"があったなら、もっとも優るのはやはり小野だと思う。俊輔の登場以降、日本人プレイヤーをはかる物差しは一気に大きくなったが、それをわずか1年後に更新したのが小野だった。柴崎岳は視野の広さが出色でも面白みに欠ける…乾貴士や宇佐美貴史は秀でたドリブラーだがボールタッチが物足りない…小野に魅せられ、物差しがあまりにも大きくなったせいで、後世のタレントたちにはことごとく、どこか満たされなくなってしまった印象がある。それは日本人プレイヤーにとどまらず、現在のペドリやジュード・ベリンガムですら、例外ではない。出現が早過ぎたのではないか。あと20年後に産まれていたら。つい妄想にかられてしまうところや、プロキャリアにおいて最盛期が2年足らずだった儚さも含め、私もNumber1068号のタイトルに賛同したい。それでも、日本サッカー史上最高の天才は、小野伸二だ。



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