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あえて流れに乗らない勇気

「ねえSwitch買ってよ!クラスみんな持ってるんだから!」
「はあ?みんなって、誰よ」
「ひできくんと、ようちゃんと、せいちゃんと、まーくん」
「それはみんなって言わないの。よそはよそ、うちはうち」

そう、30人か40人のクラスで4人では「みんな」とは言わないし「よそはよそ、うちはうち」なのである。

そんなことはとうに経験済みなのに、ついつい同じことを繰り返してしまいがちだ。


世の中にフリーランスのライターは何万人といるだろうけれど、たまたま入っているコミュニティで、あるいはたまたま仲間内での飲み会で、盛り上がった話題や「みんな」やっていることって、勢いでうっかり乗ってしまいそうになる。

もちろん悪いことじゃない。
流されてみる、乗っかってみるのもひとつの選択肢だし、思わぬ楽しい世界が広がるかもしれない。わたしにもそういう経験はある。


あるいは「SNSを運用したほうがいい」「noteを書いたほうがいい」「◯◯したほうがいい」との有益な情報が毎日毎時毎秒マトリックスのように流れてきて、最初は意識していなくても同じような情報を多く目にすると「…わたしも始めたほうがいいのかな…」などとゆらゆらしはじめる。


わたしもよく「目的なくはじめる」ことはあるけれど、それってだいたい自分の内側からふとわきあがってくるケースがほとんど。
つまり完全に自分のタイミングでスタートしている。

いっときの盛り上がりやみんながしていることというのは、たしかに自分も取り組んでみたほうがプラスになるかもしれない。
ただそのときの流れに乗っかる形でぼんやり「プラスになりそうだから」と始めると、たぶん続かない。
目的がぼんやりしすぎているから。
それは誰かにとっての始めるタイミングなのであって、まだ自分のタイミングではないのだ。

それでも、時間や体力、気力に余力があるのなら始めてみるのもよいかもしれない。でもそうでないなら「今はやらない」と先延ばしにしたっていいんじゃないか。

余力がないなら新しくなにかを始めるよりも、目の前のことに集中するとか、むしろなにかをやめていくとか、すべきことはほかにある気がする。

流れに乗らなければ、もしかしたらその人たちの話題に入っていけなくはなるかもしれない。だとしたらその場で誰かが置いてけぼりになるような話をする程度の人たちなんだな、とわたしなら思ってしまう。結局内輪盛り上がりじゃないか、と。


それに、別に「今は」始めないだけで、あとで始めたっていいんだから。
余力がないと感じているのなら、ほかに集中したいことがあるのなら、あえて乗っからない。

よそはよそ、うちはうち。

自分のタイミングは自分で決めたらよいのです。



今日も読んでくれてありがとうございます。
最近あなたが「あえてしなかったこと」はなんですか?

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