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イライラをなくすには興味をなくす

怒ることにはエネルギーが要る。
年齢を重ねるほどエネルギーは少なくなっていく。
怒るとエネルギーを消費するから、怒らない。

たしかにそれも一理あると思うけれど、ほかにも原因があるのではないか。

泣きわめくことで我が通る幼少期。
でも学校に上がればもう、泣いてもわめいても我慢するしかないことが増えてくる。
社会に出れば理不尽なこともたくさんある。

年齢を重ねるほど「諦め」をおぼえるのだ。
だから怒るより前に諦める。
多くの場合、人とぶつかることは得策でないと学ぶ。
だから衝突を避けようと折り合いをつける。

怒ることはめったになくても、イライラなら高頻度でする。
諦めたいし折り合いをつけたいが、口でいうほど簡単でないからだ。

夫の片づけられない性質を諦めたくても、そのせいでわたしの手間が増えていると思うとイライラしてしまう。
かといって「いい加減にしろ」と怒っても不機嫌爆弾を投げつけられるのが関の山だ。

∽∽∽

「なんでわたしが」
「どうしてあの人は」

こんなふうに人に対してイライラしがちなわたしだが、最近はイライラを鎮める術を身につけつつある気がする。

「知らん。興味ない。知ったこっちゃない」だ。

なんであんたが散らかしたものをわたしが片づけなければならないのだ。
知らん。
あんたがなぜ片づけられないのか、興味もないし、知ったこっちゃない。

そうやって頭のなかで唱えると、
「そうね、わたしは自分のすべきことを淡々とするだけよね」と二の句が継げるのだ。

散らかった状態が嫌だから淡々と片づけるもよし、片づけたくないなら放置するもよし。
知らぬ存ぜぬである。

∽∽∽

今月、友人の結婚式がある。
そこでわたしは余興をおこなう。
プランナーさんと電話で何度かやりとりが発生している。

正直面倒くさい。
なんでわたしがこんなことせにゃならんのだ。
知らん。彼女(新婦)の考えに興味はないし、知ったこっちゃない。
わたしはただ淡々と頼まれたことを遂行するのみである。

心が狭い友人で申し訳ないし自分でも嫌になるけれど、嫌になったところで心が広くなるわけでもなく、余興はやらなければならない。

だったら、彼女(新婦)のことは好きだけど、しょせん他人であるから頭のなかのことは知ったこっちゃないし、なぜ自分が選ばれたか興味を持ったって仕方がない。理由がわかったところで、別になにも変わらないのだから。

∽∽∽

誰かに対してイライラするというのは、対象者に期待しているからだ。
片づけてくれ、ほかの人に頼んでくれ、と。

そして、そんなわたしの想いは相手からしたら「知らぬ存ぜぬ」である。
相手が知らぬ存ぜぬのなら、こちらも知らんし興味なくてなにが悪い。

イライラしたときには、そう思うことにした。
(逆にイライラしていないときにはこんな屁理屈な考えをする必要はない)。

どんなに屁理屈でも、汚い考え方でも、冷たいようでも、頭のなかでつぶやくぶんには誰にも迷惑がかからないし、それで穏やかでいられるならそのほうがよいのではないかと思う。

だってイライラは伝播するもの。
ポーカーフェイスができないわたしにとって、イライラした状態で人に接するほうがよくない。

期待を手放せるならそれに越したことはないが、やっぱり無意識にしてしまっている期待がある。
期待が手放せなかったのなら、一時的にでもいいから興味がないと突き放す。
心の平穏を保つために。
感情的になって時間をムダにしないために。



しかし今日もここまで興味を持って読んでくれてありがとうございます。
あなたが手放したいイライラは、なんですか?

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