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2万4,000歩でみつけたお気に入り

2億4,000万ならぬ2万4,000。
本日の歩数だ。
もはや壊れゆく足首に命のときめきエキゾチックを感じる。

海外に住んでいて、そうやすやすとは会えない友人との約束。
無理も気遣いもしなくていい相手とはいえ、つかれたなどと言いたくない。
今日こうしてせっかく会えたんだもの。1秒すら尊い。終電なんてなければいいのに。

∽∽∽

難しい計算しないで、もっとやりたいようにやりなよ。

彼女にそう言われて、はっとした。

会える頻度はオリンピックと同程度かそれ以下だというのに、さすが中学時代からわたしのことを知っているだけある。

とりとめのない会話のなかで170km/hの直球どストライクを放られ、わたしは見逃し三振するしかなかった。

やりたいように、やってきたはずなんだけどなあ。

じゃあわたしの「やりたい」とか「在りたい」って、なんだろう。
まあいいや、今はわからなくても。
というか、今日なう今この瞬間が楽しいから、そういうこと考えたくない。

∽∽∽

ていうか、そのお茶碗買ったら?

彼女が大学時代よく足を運んだというおしゃれな雑貨屋で、わたしはあるお茶碗に目を奪われていた。

かわいかった。

今使っているお茶碗もわたしはとても気に入っている。陶器や焼きものにくわしくないからわからないが、おそらく〇〇焼のぽってりとしたお茶碗だ。
しかし長年使っているため、いつの間にか縁が少しだけ欠けてしまった。

機会があれば新しいお茶碗に買い替えようと前々からアンテナは張っていたのだが、これ!とピンとくるものがなかった。
気に入っているが欠けているお茶碗に勝る新品のお茶碗に出会えないままもう数年が経っている。

今わたしの目の前にあるお茶碗なら、買い替えてもいいと思える。
しかし帰省中の今、よりによってワレモノを買ってどうするのだ。自宅に持って帰るのが面倒だろうが。
それに今のお茶碗、まだ使えるし、気に入っとるし。
…そんな逡巡をしながら、どれだけそのお茶碗の前で足を止めていたのだろうか。

「あんた、まだ欠けたお茶碗使っとるんでしょー?毎日使うものなんだから、高くなくてもちゃんとしたの使いなよ。そういうのも、自分を大切にするってことだよ」

そう背中を押されて、わたしはお茶碗を買った。
迷った買いものというのはその後も「本当に買ってよかったんだろうか」と自問自答の念がよぎるものだが、今日は満足感しかなかった。

というか、友人が欠けたお茶碗の話を覚えていることも、欠けたお茶碗をまだ使い続けているのを見抜くことも、さすがすぎる。

∽∽∽

彼女いわく、わたしは「こうで在らねばならない」とか「ちゃんとしていなければ」とか、「努力はあたり前」と、時にストイックすぎるほど自分を追い込む癖があるらしい。

だから、毎日使うものをお気に入りのものにするとか、「ほしい」と思ったものを買ってみるとか、小さなことをだいじにしたほうがよいのだと。
無理ない範囲で好きなものを買うぐらい、誰にも迷惑をかけないし。

お気に入りに囲まれて生きるってことを、意識してみたらどうかとアドバイスをもらった。

そうだね。
やりたいこととか、在りたい姿とか、そういう大それたことを考えるのはその後でよいかもしれない。



今日も読んでくれてありがとうございます。
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