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がんばりどきな自分が面倒くさすぎる

今の仕事をはじめる前、つまりどこかに雇用されて働いていたころは、必ず月に1度なんらかのイベントをセットして、その楽しみに向かってひた走っていた。

夫の転勤のたびに職を転々としてきたが、どこにいってもなにかしら人間関係がうまくいかなかった。
わたしにもなにか落ち度があるのかもしれないが、「指導」という名のパワハラ、強い立場を利用したセクハラ、小学生のように幼稚で陰湿な嫌がらせ、陰口。

もはや「耐えられる / 耐えられない」の問題ではないが「自分にも落ち度があるのではないか」と思うと、黙っているしかない。

それに非正規雇用は圧倒的に立場が弱い。
どうせ人事や担当部署に相談したところで、お払い箱になるのはわたしのほうだろう。今の日本企業では改善されているのかどうか知らないけれど。

だから黙って耐える代わりに、月に1回、思いっきり楽しめるイベントを自分のために設けていた。


コロナのせいなのか、自分が働き方を変えたからか、あるいはその両方なのか判別は難しいが、イベントに対する「楽しみ」の具合が薄れている。

旅行の予定も、ライブの予定も、計画するそのときは心躍っているのに、日が近づいてくるとだんだん面倒くさくなってくる。

何時の電車に乗るんだっけ。
家を何時に出ればいいんだっけ。
げ、けっこう早起きしなきゃだな…
ていうか、移動に3時間もかかるのか…
帰りは終電に間に合うのかしら。
間に合わないとしたら、ホテルも押さえなきゃ。
荷物も準備しなきゃな。
当日は、現地は、暑いんだろうか寒いんだろうか。
…あー面倒くさい。あとにしよう。

行けば「最高に楽しかった」などと帰ってくるのだが、どうにも行くまでが面倒くさい。


通勤とはいえ外に出かけることへの慣れが失われたのか、はたまたコロナ禍の外出自粛によって出かけるハードルが上がってしまったのか。


「今ががんばりどきだから」と思っている自分もいる。
今ががんばりどきだから、遊んでいる場合ではない、と。

2年後に達成したい目標があって、2年後に達成するためには今、いろいろなものをかなぐり捨ててでもがんばらねばいけない気も、しなくはない。

人生で一度は仕事のがんばりどきがあるのだとしたら、今ではないのか。


がんばっているのに、なかなか進んでいる気がしない。
でも人から「がんばりすぎじゃない?」といわれると「いや、まだまだよ」と思うし、そのくせ「もっとがんばれ」といわれたら「やかましいわ」と言い返したくなる。

たまにはパーッと息抜きしたいぜ!と思う自分と、遊んでいる場合ではないだろうと諫める自分、そして出かけるのが面倒な自分。


自分って本当に気分屋さんで面倒ね。
自分をうまく転がして乗せられる自分でありたいわ。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたは自分とどうやってうまくおつき合いしていますか?

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