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感情は押し殺せないので噛んで出す

「イライラ」とまではいかないが、なんか心がザリザリする感覚を味わったことがある人はわたしだけではないだろう。

立て替えた飲み代が返ってこないとか、
自分は調子がよくない一方まわりが結果を出しているときとか。

魚の小骨がのどにつっかえたような、
あるいは靴裏のガムをこそげ落としたはずなのにまだペタペタするような、地味にちょっとテンションが下がるあの感じ。

∽∽∽

このnoteでも何度か話題にしているけれども、来月、友人の結婚式にお招きいただいている。

わたしと新婦は大人になってからのつき合いだ。
もし学校のクラスメイトとして出会っていたら、きっと仲良くしていないだろう。それどころか互いに嫌いな部類に入っていたはずだ。

不思議なもので、大人になると「学校で同じクラスだったらきっと仲良くできなかっただろうな」という人とばかり仲良くなる。

彼女とはつき合いの長さでいえばまだ数年だけれども、いろんな悩みを共有してきた。
そして彼との出会いも、おつき合いの過程も知っているし、新郎がまだ「彼氏」だったころに何度か食事もご一緒している。

結婚の報告を聞いたとき、すでにわたしは県外に引っ越していたけれども、もしまだそこにいたなら、きっと「お祝いだ!飲みに行こう!」と気前よくごちそうしていたと思う。

ところが今のわたしはどうしてしまったのだ。
結婚式場が遠い。自宅からまっすぐ向かって4時間近くかかる。
交通費・宿泊費・ご祝儀・二次会参加費で5万円は優に超える。
その前に美容院に行くことも考えたら、7, 8万円はかかるだろう。
…しかも余興を頼まれているときた。

結婚式に参加するための時間とお金と労力をどうしても考えてしまう。
めちゃくちゃ申し訳ないのだけれど、正直(今の段階では)気が重い。
おめでたいはずなのにこんな気分になってしまっている自分も情けない。

生理痛のようにどよーんとしてしまう。

∽∽∽

もちろん結婚式の場でそんな気持ちを表に出すわけにはいかないが、だからといってこの日常で我慢する必要もないのかなと、最近思うのだ。

ダイエットと称して食べるのを我慢しているとそのうちキレ食いするように、感情もずっと押し殺しているというのは、たぶんできないのだと思う。

だから人は感動して泣ける映画を無性に観たくなったり、涙が出るほど笑える動画を観たくなったりするのだろう。

喜怒哀楽の「怒」が、どうしても比率として多くなりやすいから、「喜」と「哀」と「楽」を補いたくなるのだろう。
ほかにもスリルを味わうとか、スカッとするとか。

わたしの大好きなJohn Wickは「怒」と「哀」が根底にある作品だが、元殺し屋であるJohn Wickは復讐のために人を●しまくる。どんなにドンパチしても、警官と顔なじみのためお咎めがない。
わたしの日常生活では到底できない(し、やろうとも思わないが)。
できないからこそ、観ていてスカッとするのだろう。

感情的になることが悪なのでなく、感情的な状態を引きずることがわたしにとっては悪だと自分で思う。
怒りだけでなく、喜びにずっと浸っているのも落ち着かない。
すぐ味のなくなるガムのように、さっと味わってさっと手放したいのだ。

∽∽∽

おそらく結婚式が終わるまで、わたしは何度もどよーんとするだろうし、動画や映画を観る時間は何時間にも及ぶだろう。

でも感情に引きずられてパフォーマンスが落ち、時間に追われてジムにも行けず、よりコンディションが悪化する悪循環に陥るよりは、ずーっとマシだと思うのだ。

「その日の感情、その日のうちに」

感情を押し殺すのはよくない。
「こんな自分嫌だな」と思うときだってある。
それもいったんは噛み締めて、ポイする。

たくさん笑おう、たくさん涙しよう。
自分の感情の取り扱い、もっと上手になりたい。



今日も読んでくれてありがとうございます。
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