見出し画像

がんばりスイッチを完全OFFにしたら不安よりも充実感が勝った

帰省生活が10日を過ぎた。
あくまで実家に「帰省中」なだけであり、寄生虫ではないと信じている。

我が家は母が3時半に起き、妹は4時半に起き、いちばん遅い人でも6時半と、みな朝が早い。
3時半なんてわたしにとってはまだ「今晩」だ。
しかし母が起きてくる前にダイニングから退散しておかないと「早く寝なさい!」と叱られる。
そして叱られるのを避けるため、3時ぐらいには退散するようにしている。大概いい歳してまるで小学生である。
だがそのおかげで今わたしも自動的に少しだけ体内時計が早まっている。

生活リズムがみなに少し近づいたということは、つまりひとり時間の減少を意味する。
早朝に働いている母は昼には自宅に戻っているため、日中は母と過ごすことが多い。せっかく帰省していて、食事も洗濯もぜんぶおまかせしているのだから、手伝えることは手伝おうと基本的にYESMANのスタンスをとっている。
ゆえに、自分のことに集中できる時間は意外と少ない。

GW休暇を遅らせてとったとはいえ、さすがにもう仕事は再開している。
それでも、思った以上に心にゆとりを持って過ごせている。
なぜか。
①家族、②仕事と優先順位が明確に決まっているから。
さらに①②以外のものごと、とくにインプットをやめているから。

∽∽∽

ふだん1週間のうち2回は、夜の時間帯になにかしらの勉強会がある。
夕飯の時間と重なるものは、今すべて欠席している。

読んだほうがいいとシェアしてもらった記事
有料の動画講座
(勉強のための)読書

勉強会だけでなく、手元にある勉強ツールもほとんど手をつけていない。
勉強のために参加しているコミュニティのSlackやChatWorkも、メンションされたとき以外はみない。

本当はなにかを欠席したり、休んだりすることに、とても抵抗があった。
実際に風邪を引いているので「体調不良」で休んでいても嘘にはならない。でも本当は体調不良よりも、家族との時間や、がんばれないという自分の気持ちを優先しているといえる。

なんだかズル休みをしている気持ちになる。
「がんばれない」なんて、甘えではないかと思わなくもない。
ふだんあれだけ人に甘えているくせに不思議なもので、こういうところでは「甘えている」と思われたくない気持ちもある。
「がんばらなかったら成長がそれだけ遅れていくぞ!達成したい目標があるのにサボっていていいのか?」と、スパルタな自分の声もたまに頭のなかをこだまする。

そういう心苦しさや不安、焦りもあったわけだが、勇気を出して休むことで自分の「休みスイッチ」が入った感はある。
一度「欠席します」といってしまえば、次もその次も「必要だから休んでいるのだ」と思えてくる。

なんだかダラダラしてしまって、今日もほとんどなにもできなかった。
という休み方ではなく、休むと決めて休んでいるため後悔も罪悪感もない。

すこしばかり勉強をサボったって、いくらでも取り返せる。
むしろ休んで心と体を元気にしないと、勉強はどんどん遅れていく。がんばれることも、がんばれない。

「がんばる」につながることをカットしてみたら、こんなにも時間と気持ちにゆとりが生まれるのかと感動した。
(家事をしなくてよいのも、とても大きい)。

裏返せば、今までの自分は「がんばる」に相当な時間と気力を使っていたともいえる。
でも、皮肉にもがんばらなくなったぶん読みたかった本を1冊読めたし、観たかったアニメをついに完走できて、しばらく忘れていた充実感を味わっている。
それこそ、本もアニメも時間を忘れるほどのめり込めた。


今まで自分は「ON / OFF」のスイッチをはっきり切り替えるよりも、ずーっとアイドリング状態にしているほうが自分に合っていると思っていた。
でもすこし補足しなければならない。

不定期でも、今回より短くても、完全にOFFにする連休がわたしには必要。

心と体の休養、まだ続きます。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが最近意識してとった休養は、どんな時間でしたか?

この記事が参加している募集

#この経験に学べ

53,067件

#QOLあげてみた

6,032件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?