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まともじゃなくても生きていきたい『コミュニケーション不全症候群/中島梓』

まともって何だ。
中学生ぐらいから今まで漠然と考えてきたことだ。
まともとは社会に適応できていることだと思う。そう考えるならば、私は社会に適応できていない、まともではない人間だ。

ますます過密化と選別化がすすむ現代、もはや「一戸建」の自我の場所はない。それでも生きていかなければならないとしたら。おタク、ダイエット、少女たちの小年愛趣味…それらすべてを現代社会への「適応」として捉え、若者の共感と批評家の絶讃を浴びた、著者渾身の書き下し評論。後のオウムの出現を予言していたと思える箇所もあり、誰もがあっ、と思いあたる。「現代」を生きなければならない人々に繰り返し読まれるべき名者。

筑摩書房 公式HP

小説家でもある中島梓さんが書いた評論だ。30年前に刊行されたが、現在の社会や人間のことを思うと作中でまるで予言していたかのような言説も見受けられる。

私たちはみんなひとしなみに、コミュニケーション不全症候群であると思うが、それは必ずしも私たちの個体としての素質からきたものであるのではなく、むしろ、コミュニケーション不全症候群というかたちで私たちは現代という、適応不能が頂点に達した時代に適応しようとしているのではないかという気がする。

『コミュニケーション不全症候群』p26

おタク趣味やダイエット、BL作品を好む少女。これらはいまの社会へ「過剰に適応」した結果だと中島さんは書いている。そして「過剰に適応」することが、なぜおタク趣味、ダイエット、BL作品の愛好につながるかも書いている。
ここまで読んでいて不安に思った方へ断っておきたいのが、中島さんはおタク趣味やBL作品を好むことについて「そんなのおかしい」と非難しているわけではない。むしろ今の社会において、そうなってしまうほうが当然なのでは?とすら言っている。
一方で「ダイエット」については警鐘を鳴らしている。それは明確に健康を害し、命の危険も迫ることだからだ。
なぜ「ダイエット」をこんなにもやらなきゃ、と思う人が多いのか。また刊行当時は女性が「ダイエット」をしている風景が多いときだが中島さんは男性も「ダイエット」をするようになってきた。するようになるとも書いている。
「ダイエット」というのは数値的に健康の心配があるからすることではなく、美容目的の「ダイエット」ということだ。少女(女性)を巡る「ダイエット」のあれこれも「過剰な適応」である。

目次
コミュニケーション不全症候群
オタクについて
ダイエット症候群
病気の時代
僕の夢は少年を…
美少年なんか怖くない
最後の人間
コミニュケーション不全症候群のための処方箋

筑摩書房 公式HP

少年や少女をここまで追い詰めるものの正体は何なのか。
そしてその病巣である社会と向き合っていくためには。自分の病をしっかりと知ることと、知らないままでいるとどのようになってしまうのか。
目次の最後の章にある『コミュニケーション不全症候群のための処方箋』で、それまで述べたことへの処方箋が出される。
この章は中島さんが少年や少女に、そしてかつて少年や少女だったあなたへ向けてのやさしいく厳しく、たしかなメッセージを記してくれている。
まともじゃなくたって生きてい期待!そう考えるあなたへの一冊。

 自分の苦しみから逃れようとするすべての空しい努力がコミュニケーション不全症候群をひきおこすのである。彼らは自分が苦しんでいないと感じるために他の人間のせいだと感じたり、あるいは他の人間を苦しめることで安心しようとしたりするからだ。だから問題の根源は苦しむことを認めることにある。それはそんなに恐ろしいものではないし必ず乗り越える事が出来る――と、私はここで保証しよう。これまで自分の作ってきたゆがんだ殻や適応の異常なかたちを捨て、そこから出ることは誰にでも恐ろしいものである。だがそれはやっぱり何もそういう足かせをもっていない状態の自由さと楽さと快適さに比べたらまったくむなしい恐怖でしかないのだ。
 大切なのは勇気だけである――コミュニケーション不全症候群のための処方箋はただそれだけだ。自分をちょくしすること、自分の苦しみを認識すること。そしてそうするだけの勇気を持ち続けることである。我々がどうやら二十一世紀を迎えることができるためには、我々はただ、ほんのちょっとだけ勇気があればいいのである。

『コミュニケーション不全症候群』p285-286


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