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「見せたい場所があるんだ」

「見せたい場所があるんだ」

映画の登場人物の台詞である。

少し戸惑う相手をよそに、彼らはずんずん進んでいく。「ちょっと、どこいくの?」の声もお構いなし。「いいからいいから」と歩みを止めない。

急な坂や路地裏を抜けた先には、もちろん、街を見渡すことのできる穴場があるのだ。ちょうど向こうの山に夕日が落ちるころ、街はオレンジ色に染まる。

普段は見ることのない街のパノラマに目を奪われると、これはもう物語の何らかのサインである。相手の顔に笑顔が戻れば任務完了だ。

お約束だが美しいシーンである。

私はこれに憧れた。私も「見せたい場所があるんだ」と言って、誰かを素敵な場所に連れていきたいと思った。

しかしこの「見せたい場所があるんだ」、意外と難易度が高いように思われる。

夕日が沈むタイミング、朝日が昇るタイミング。夜景が美しいタイミング。これらのタイミングは逃してはならない。季節によって時間は変わるので注意する必要がある。

しかし早く着きすぎても、現地で夕日が沈むのを待つ羽目になるため、少し格好が悪い。

というか、そこらにドラマティックな風景が落ちているわけないのだ。せいぜい「ああきれいだナァ」と下校の時間に思うくらいである。

よくよく考えてみると、「見せたい場所があるんだ」なんて、歯が浮きそうなセリフではないか。なんだか自分に酔っている痛いやつである。想像してみるだけでとても恥ずかしい。

やはり映画のあの雰囲気があってこそのあの台詞なのだ。

こちらの世界では台詞と現実は地続きである。映画ではちょうどよいところでそのシーンは終わるが、現実ではそうもいかない。誰かがこのシーンを回収しなければならない。私は頃合いを見計らって、「そろそろ行かへん?」と声をかけるだろう。この素晴らしいシーンの後半、私は帰るタイミングのことで頭がいっぱいになっていると思う。

映画には憧れる。しかし、憧れすぎて自分の生活しているところを忘れてしまうのはよくない。こちらは現実である。

現実はどのシーンもつながっているのだ。






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