見出し画像

途上国支援の目指す先は先進国化なのか。

こんにちは。えみぞうです!

今日は、大学1,2年の時に「途上国支援」をテーマにラオスやザンビアに行った時に感じたことを書いてみました。

※そもそも「途上国支援」という言葉には偏見が含まれている気がしてそんなにすきはないのですが、今回はあえて「先進国」と「途上国」という対比で話したかったので使っています!

途上国支援を目指したきっかけ

小学生の頃テレビで「世界には6秒に1人、飢餓で亡くなっている。」という事実を知りました。

今、このCMを見ている間にもどんどん亡くなっている。
あ、6秒経った。また1人死んだ。
この1時間の番組が終わる頃には、600人が亡くなるんだ。

そう考えるとゾッとしたのを今でも覚えています。

それ以来、私は「貧しい国かわいそう。私にできることは何かないか。」という使命感に駆られていました。

"支援"活動を始めた大学1,2年生

ザンビアの孤児院でもらったネームプレート

大学生になったら実際に途上国に行って現状を知りたい!
自分にできることを見つけてやってみたい!

そう考えていた私は大学1,2年生のときラオスとザンビアに行きました。

ラオスは、大学主催の医薬看護学部合同プログラムで2019年春に渡航しました。

病院見学やJICA訪問、WHO訪問、小学校での保健教育活動、現地の保健大学とのディスカッション、村でのホームステイなど内容の濃い2週間でした。

ザンビアは、大学の医薬看護学部合同の活動団体として2019年夏に渡航しました。

日本人の方が運営しているストリートチルドレン保護施設に宿泊しながら、孤児院での保健教育活動、現地の病院見学、健康診断の実施、水質調査、JICA訪問、栄養改善を試みるNPO団体へのインタビューなど、こちらも濃い1週間でした。

渡航先での経験①「次はメガネを持ってきてちょうだい」

これはザンビアで健康診断のために村へ行った時の話です。

そこは首都ルサカから車で約2時間ほど、舗装されてない凸凹な道を進んだ先にある土壁の家が並ぶ村でした。

筋肉ムキムキな鶏が外を駆け巡り、風が吹くたびに砂埃が舞ってたのを今でも覚えてます。

ザンビアの村での景色

健康診断を行うと、砂埃が目に入るからか目の悪い患者がたくさん来ました。

私たちは体重と身長と視力を測る一般的な健康診断を行い、体調や栄養状態を確認しました。

そして帰り際、ある村人に繰り返し強く言われた言葉が、「次は、メガネを持ってきてちょうだい。私たちはメガネが足りないの。あと、あれとこれとあれも欲しいわ。次はたくさん持ってきてちょうだい。」でした。

これでもかというくらい、欲しいものをたくさん言われました。

もはや何が欲しいと言ってたか全部は覚えられないほどの数と、その勢いに圧倒されました。

学生団体である以上、資金もない。物資支援は私たちにできることではない。

確かにものがないのは可哀想だと考えれば、どうにかメガネを持ってきてあげたいという感情が湧いたかもしれませんが、私はそうは思えませんでした。

むしろ「モノに溢れれば本当に豊かになるのか」という疑問が沸きました。

きっと、メガネが手に入ったら次はコンタクトレンズが欲しいと言うかもしれない。

コンタクトが手に入ったら次は目薬が欲しいと言うかもしれない。
欲しいものなんて無限に出てくる。

物資支援を行うことが本質的なのか、私は自信が持てませんでした。

渡航先での経験②「ここ10年でみんなTシャツを着るようになったよ」

これはラオスの村の小学校に行ったときの話です。

ラオスは、60%が低地ラオ族と、その他約50の少数民族からなる多民族国家です。保健教育活動しに行った小学校にも、3つの民族の子供がいました。

民族によってどう文化が異なるのか、通訳を挟んで現地の人から学びました。

豊かな民族文化の話とともに、最近はそれが変わってきたことも知りました。

ラオスの小学校での様子

村の人と次の場所に向かって歩いているとき、「ここ10年でみんな民族衣装ではなく、Tシャツとかを着るようになった。だってその方が安くて便利だからね。この10年で街の景色はだいぶ変わったよ」と教えてくれました。

たしかに街で会う人はみんなファストファッションに包まれていました。

そして小学校や、ホームステイ先の近くを散歩していると、突然ゴミ山が現れるのです。

川の近くや山の中、いろんな場所、いろんな地域で見受けられました。

突如現れるゴミ山

ここでもまた「モノに溢れれば豊かになるのか」という疑問を覚えました。

ラオスのこの状態はもしかしたら、ザンビアの村に実際にメガネやコンタクトレンズや目薬を与え続けてみた段階なのかもしれない。

モノが手に入り始めたけど、捨てる場所が追いついていなかったのかもしれない。

モノが手に入る様になったことで生活は豊かになったかもしれないが、個性豊かだったはずの民族文化が先進国と同じスタイルに書き替えらていく姿にどこか違和感がありました。

途上国が目指すべき社会は、本当に先進国なのだろうか

元々、「貧しい国かわいそう」だと思っていました。

恵まれた国に生まれた自分にできることはないか、そんな気持ちが上から目線な態度だったとは気づいていませんでした。

確かに、日本みたいにすぐになんでも買えるわけではないし、テーマパークがあるわけでもない。

でも現地の人たちは、家族や村単位で暮らせていて十分幸せそうでした。

外から来た人の”支援”を特別求めてるとは感じなかったです。(国や場面によって異なりますが。)

むしろ日本や東京にはない豊かな暮らしがそこにあるようにも感じました。

「途上国支援」という言葉を自分のテーマに掲げていたけど、自分が思い浮かべていた「支援」は、先進国に近づけることだったのだろうか。

先進国のようにお金を稼いで、モノを買って捨てることを繰り返していけば「発展した」「支援に成功した」と言えるのでしょうか。

先進国こそ途上国化させるべきでは?

ラオスの国花プルメリア

むしろ、先進国が忘れてかけているそもそもの「暮らし」を取り戻すべきだと意考えています。

今の私たちは、お金がないと物が買えない。
お金が欲しいから働かなきゃいけない。
お金が手に入ったら新しいものを買って古いものは捨てる。

そんなシステムを使って生きている。資本主義的な価値観がもうOSとして自分たちには搭載されている。

お金はあればあるほど良い。物に溢れたら豊かになれる。

そんな価値観が無意識のうちに染み付いているかもしれません。

でも、お金や物の多さだけでは図ることのできない豊かな世界がある。
家族や村単位で暮らしていけばなんとかなることが、いっぱいある。

もしかしたらポストコロナの時代には、新しい形の共同体が生まれてきているかもしれない。それは移住者や多拠点生活者が増えているのを見て最近感じていることだ。(これはまたの機会にnoteにしようかな)

全ての国が、今までのような大量生産大量消費型の”先進国”や”発展”を目指していけば、環境破壊もきっと進むでしょう。

だからこそ今私が目指したいのは、先進国を途上国化させていくことです。
(これもまた長くなりそうなのでまた別のnoteで書こうかな!)

最近は「ポスト資本主義」という考えに興味があるのでおすすめの本などあったら教えてください!
もし感想などあればぜひ聞きたいです。

最後まで読んでくださった方ありがとうございます!!

また次のnoteで!

この記事が参加している募集

熟成下書き

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?