見出し画像

‟南の島で木端微塵(こっぱみじん)”



私のお気に入りの一節

「 いくつもの週末 」( 江國香織 著 ) より





『南の島で木端微塵(こっぱみじん)』


☆木端微塵 = 非常に細かく、こなごなになって砕け散るさま (weblio辞書より)


この一節が好きで、よく思い出す


特に夫婦のことを考えるときに。

この一節は何を表しているかというと

結婚生活なのである。



画像2



「いくつもの週末」
小説家の江國香織さんのエッセイで、新婚当時の生活を中心に描かれたもの。1997年に刊行された。

 

江國さんはずっと作家として生きてきて、会社勤めをしたことがない。そのため結婚するまで週末という概念がなかった。会社員の夫と結婚して初めて、週末が特別なものだとわかる。

彼女にとって夫と一緒に過ごせる週末は、まるで南の島で過ごすバカンスのように感じられる。しかしそれほど楽しい時間のなかでも、必ず毎週末けんか(小さなものからのようなものまで)をするという。

二人で過ごすめくるめく時間はすぐに過ぎてしまい、週末は終わってしまう。

月曜日出社する夫を見送ったあと、なぜだか彼女は『安堵と疲労』を感じてベットに戻りぐっすり眠ってしまう。この安堵と疲労は『すべてが圧倒的』だった夫と二人の週末(バカンス=非日常)が終わり、自分だけの日常に戻れることへの安心感なのである。

彼女は『いつも週末だったらいいのに』と思う反面、そうなったらきっと自分たち夫婦は木端微塵だとわかっている。

それでも思う、『南の島で木端微塵、憧れないこともないけれど』と。



画像2


南の島で木端微塵


「見事な表現!」

「わかる、その気持ち!」


結婚したあとでますますそう思うようになった。


夫のことはもちろん大好きだ。しかし根本の性格が正反対なのだ。


(でもそっくりなところもある)


くっつきたくて仕方がないけれど、ずーっと一緒にいるとうざったくてしょうがなくなってくる。


ずっと話していたいけれど、なぜか途中から口げんかに発展したりする。


もう矛盾だらけ


なぜこの人がこんなに好きなのかしら?


なぜこの人を結婚相手に選んだのかしら?


(考えてもしょうがない問い)


だってとても気に入ったからなのだ


そう、そして今でもその思いはほとんど変わらない


甘くて面倒くさい "夫婦"という関係



画像3


だからつい私もあの言葉を唱えてしまう


『南の島で木端微塵』


憧れるというより、もうこれ自体が結婚生活を表しているように感じている。






この記事が参加している募集

あなたのコメントやスキが一番のサポートです🥰 記事を読んで下さって本当にありがとうございます! あなたの記事も読みにいきます🎶