曖昧な世界に生きる辛さ

アメリカでの生活は、日本での生活と違う。

それはアメリカに来る前から分かっていたことだ。
でも、私は、「言葉がわからない」ということがこんなにも私の生活に影響を及ぼすとは思っていなかった。

英語が理解できない。
英語で言いたいことが言えない。

そんなことは、自分の性格とか周りの優しさでどうにかなると楽観していた。

でも、今、何年もアメリカに住んでみて思うのは、ここでの生活は、いつもどこか【曖昧】な感じに包まれていて、誰かと話しても、何かをしても、それにはいつも【不安】とか【疑問】とか【不確か】なものが付きまとう。

単純に、英語が全部わからないから。
周りで話されていたり、自分に向けられた言葉でさえも、全てを理解できないから。
そして、自分の言いたいことも、言いたいように全てを英語にできないから。

常に、私はぼんやりした世界に生きている気分がする。
まるで、コンタクトレンズや眼鏡を外して過ごしているような。
全ての輪郭が曖昧で、はっきり見たいと目を細めてみても、相変わらずぼやーとしか見えない。
そのもどかしさを常に抱えている気がする。

視力矯正のトレーニングをして、少しは効果あったかなと期待して眼鏡を外しても、たいして見え方に変化がなかった時のような…英語学習を継続していても、最近はこれに近い気分になることも多い。

いつか、この曖昧なぼやけた世界が、はっきり目に映る日がくるのだろうか。

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