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30歳になった私が『街の上で』をみて感じたこと。

街の上で

今泉力哉監督の『街の上で』を見て、下北沢にはもう私の帰る場所はないと改めて悟った。今泉監督作品ならではの独特のテンポの群像劇が面白かったのはもちろんだが、何よりやられたのはあまりにもリアルすぎる下北沢のあの空気感だった。

画面では20代の役者さん達が焦燥不満絶望葛藤根拠のない自信を持て余しながらも、眩いほどにきらきらと輝いていた。全員あの街のどこかで会ったことがあるような気がして何だか懐かしくて思わずパンフレットを購入した。

もちろん知り合いなんてひとりもいなくて、でもロケ地は全部ビンゴだった。ありとあらゆる文化を片っ端から吸収したくて、古本屋ミニシアター古着屋ライブハウス酒場と下北沢をうろついてた日々。何者にもなれず、終着点のみえない焦燥感の中で、観たい映画があること、聴きたい音楽があること、読みたい本があることが日々の指針であり生命線だった。

下北沢を引退して

東京の生活も嫌いじゃなかったけれど、いま私は東京を離れて地方都市にいる。カルチャーをつくる側には回れなかったけれど、あの頃出会った音楽が文学が映画がいまも私を支えている。思想もファッションもインテリアもあの頃の片鱗がいまの私の暮らしを彩っている。

でも、もし下北沢でいまもう一度暮らしたいかと言われると、答えはNOだ。あの街はいままさにカルチャーを産み落とそうともがき苦しんでいる人達のためにある。下北沢の酒場でカルチャーのなんたるかを若者相手に管を巻く惨めな大人にだけはなりたくない。そうやって下北沢を引退した友人たちを私は何人か知っている。

だから、劇中の冒頭でマヒトゥ・ザ・ピーポーが『ENDROLL』を唄ってるシーンでは思わず涙した。私が彼の音楽を知ったのはGEZANが上京してすぐの2013年ぐらいで、その頃はまだ今ほど世間に知られておらず、小さな箱で対バン相手として出演するたびに私は足を運んでいた。あの彼がいまや全感覚祭を主催し、下北沢の音楽シーンの旗手として映画に出演しているのは感慨深いものがあった。彼は下北沢でもがき苦しみ花開いたうちのひとりだと思っている。もちろん彼にとっては今もまだ道の途中でしかなく、これからも進化を続けるのだと思うけれども。

地方でカルチャーを繋ぐということ

話は代わって、先日大分県の日田市で日田リベルテというミニシアターを運営されている方と出会った。下北沢とか、せめてもの地方都市じゃなくて、日田という人口6万人の片田舎(失礼!)で正々堂々カルチャーを繋ごうとしている人がいるということに感銘を受けた。

下北沢に限らず、いわゆる思春期にカルチャーに救われた経験を胸にいまは地方で暮らしている人達は実はごまんといるのではないかと思う。東京と地方の差がなくなりつつある現代において地方に人とカルチャーを繋ぐ場所をつくることは、とても大切なことだと感じた。

私は下北沢は引退したけれども、自分が救われてきた音楽や映画や文学を同世代と共有すること、下の世代に伝えていくこと、そして日々生まれる新しいカルチャーを発見することを門司港でやってみたい。そんなことをふつふつと思った。





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