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原風景と郷愁-映画『門司港ららばい』レビュー

映画『門司港ららばい』を観たら何だか胸がいっぱいになってしまって、この余韻を忘れぬうちにと思って、こうして急いで筆を走らせているわけです。

冒頭の門司港へと近づく車窓のシーンから、胸の奥をぎゅっと掴まれて疼いた。線路ごしにみえる海峡。行き来するコンテナ船。汽笛の音。潮の匂い。東京からやってきた主人公の弥生が門司港に降り立ったときの感覚とこれからはじまる物語を私は知っている、と思った。

少しだけ私の話をさせてほしい。私が門司港に引っ越してきたのは半年ちょっと前のこと、10年近く一緒に暮らしていた恋人と別れたことがきっかけだった。食事も喉を通らず、夜も眠れず、かつてない喪失感を抱えていた私を癒してくれたのは、故郷の横浜にも似たどこか懐かしい門司港の街並みと、ちょっとお節介だけど根っこから優しい街の人達だった。いちばん孤独だったけれども、人の温かさにもいちばん支えられたあの時期は、私にとって今では苦くて優しい記憶となりつつある。

だから、なんともいえない虚無感と喪失感を抱えた主人公の弥生が、お茶目でお節介な門司港民の2人に出会う場面、偶然ばったり夜の飲み屋で出会いなおす場面、魅力的なおかあさん達に引き込まれていく場面、門司港の人たちの協力を得て祖母の記憶を辿る場面……まるで映画みたいな(というか映画の)話だけれども、どの場面もひとつひとつがあまりにもリアルで追体験をしているようであった。門司港の懐の広さに癒され救われてきたのはきっと弥生と私だけじゃない。

馴染みの風景が出てくるたびに得も言われぬ感情と記憶が刺激され、うっすらと目の淵に溜まっていった涙は、これまたよくお世話になっている”おでん・樽”のおかあさんがスクリーンに登場した瞬間に堰をきったように崩壊した。また、かつて毎晩のように通った夜の"みちしお"のシーンでもなぜか涙がずっと止まらなかった。門司港へのありあまる愛で胸がいっぱいになったと同時に、私が愛してやまない今この瞬間の門司港の街並みも人も、亡くなった弥生の祖母と同じように、いつか過去になる日が来ることを予感したからだろうか。

でも、だからこそ今の門司港をこうして映像作品に残してくれてありがとう、とつよく思った。きっと40年後、50年後、私が映画に登場するおかあさん達と同じ歳になったときにこの映画を観たら、あまりの懐かしさにむせび泣くだろう。映像作品に残すとはそういうことだ。

私が好きな映画のひとつに『ニュー・シネマ・パラダイス』という名作があるが、上映終了後になぜか思い起こされたのはまさにその映画だった。『門司港ららばい』が門司港を知っているいないにも関わらず、誰もの心の奥底にある原風景と郷愁を美しい映像と音楽によって刺激する映画だったからかもしれない。そしてまた、映画という表現と故郷・門司港への愛が制作過程に作品の端々に満ち溢れていたからかもしれない。

いずれにせよ色んな縁が重なって2020年の門司港に出会い、『門司港ららばい』という映画に立ち会えた私の人生は幸運だ。いつか門司港を故郷と呼べるようになるその日まで、私もゆっくりこの街で歳を重ねていきたいと思う。明日は樽のおかあさんに会いに行こうかな。


追伸:
菊池くん、和成さん、iimaさん、俳優・制作スタッフのみなさん、心の糧になるような映画を生み出してくれて、今の門司港を作品に残してくれて、本当にありがとうございました。多くの人々にこの映画が、門司港の魅力が届くことを願ってます。

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