人間関係のリハビリ
喫煙所はホームの憩いの場のひとつである。
花札に興じているひとあり、窓の外をボーっと眺めている人あり、他愛のない話に花を咲かせている人もあり。
大好きなタバコを片手にひとりひとりがリラックスして過ごしている。そんな喫煙所だから、おいちゃん達の本音がポロッと飛び出すことがある。
その日、私が喫煙所に顔を出すとOさんがひとりソファに足を投げ出してタバコを吸っていた。
Oさんは2年前にホームを卒業して、いまは近所で一人暮らしをしている。
無料定額宿泊所であるホームは『終の棲家』であることを前提としているが、全30室のうち6室は卒業を前提とした自立支援住宅である。自立支援住宅にはホームレス状態にあった人が入居し、体調を整え、貯金を溜めて、家と仕事を探して半年で自立するのを目標とする。
すらっとした長身で明朗かつ面倒見のよいOさんはすぐにホームに溶けこみ、みんなの兄貴分のような存在となった。元来まじめな性格であるOさんは順調に貯金を溜めて家を見つけて、昨年末に颯爽とホームを卒業した。現在は法人の配食スタッフとして働いており、ホームでは毎日顔を合わせる仲だ。
余談だが、うちの法人では元々支援していたおいちゃんが、自立をしてボランティアや有給スタッフとして関わってくれるようになるケースも少なくない。被支援者と支援者の垣根の低い環境を私はとても気に入っている。
仕事前に喫煙所でゆっくりするのがOさんの習慣だった。他愛もない話を続けているうちに、ふとホームで過ごしていた頃の話になった。
「あれは人間関係のリハビリだったと思うよ。」
Oさんは続けた。
「路上生活をずっと続けてるとさ、人との関わり方を忘れちゃうわけよ。誰を信じていいのか分からなくなったりさ。そんなんだったから、ここ(ホーム)は変な奴も多いけどさ、人間関係の築き方を思い出せたのはよかったと思うよね。」
そう言って、Oさんはわははと笑った。
確かにホームで暮らしていると、始めは固かったおいちゃん達の表情がどんどんとほぐれてくる。
Oさんもはじめは大人しくて真面目な印象だった。でも今は、おっちょこちょいな私の言動に毎度「ばーかやろー」と突っ込んでくれる愉快なおいちゃんだ。
Oさんが変わったというよりも、ホームで過ごしているうちに本来のOさんが表に出てきたのだろう。
そういえば、先日の夜間パトロールで出会った現役路上生活のおいちゃんも、Oさんと似たようなことを言っていた。
「自分が何なのかわからないのよ。長らく人と話していなかったから。」
彼はとても混乱した様子だった。ベテランのボランティアさんが彼の支離滅裂な言葉を根気強く拾っては
「大丈夫ですよ。ちゃんと会話になっていますよ」
と話しかけて、安心させていた。
ホームレス状態にある人の自立支援というと「家」や「仕事」を探すことにフォーカスされがちだが、孤独だったおいちゃん達を何より支えていたのは日々のさりげない会話だった。
「おはよう」「調子はどう?」「すみません」「ありがとう」
呼吸をするように交わしている言葉たちが、私達の日常を豊かに彩っていること。そんな日常は声をかけあう相手がいるからこそ成り立っている奇跡であることをOさんは改めて思い出させてくれた。
Oさんはホームでの毎日を「人間関係のリハビリ」と呼んだが、私もおいちゃん達との交流によってケアされているうちのひとりなのだと思う。
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