「忘れられない先生」ー退屈だった高校時代ちょっと心に残る思い出😘
「情けは人のためならず」の意味を説明せよ。高校時代の国語の試験問題の一つである。私は、おおよそのクラスメートと同様、「情けは人のためにはならない」と書いて間違った。正解は、「人に情けをかけておけば、巡り巡って自分に良い報いがある」だった (注:現在の世論調査では、本来の意味ではない解釈と本来の解釈の割合は、ほぼ同じだそうである。文化庁サイト)
こんな問題を出題したのは国語の担任、T 先生である。国語の教科書からの出題だけでなく、こんな変わった問題も出題された。先生は、大学を出て、まだそんなに年数が経っていなさそうで、我々にはちょっとシャイな先生という印象だった。女子校だったせいもあるだろうけど。でも授業中の彼は、それを打ち消すように、いつも皮肉っぽく、辛辣な口調でちょっと自嘲的でもあった。
クラスの中には、彼が苦手な人、結構いたと思う。ハリネズミのようで、近づいたら、「チクリ」と刺されそうで。いわゆるネアカの一般受けするタイプではなかったから。でも私は、それは彼が自分の内面を隠すための虚勢ではないかと感じていた。実際は、繊細で純粋な人、端的に言ってしまえば「あ・お・い」人なのではないかと。
そんな彼が、学期の半ばで他校に転任すると言う。離任式での彼のスピーチがすごく気になった。詳細は覚えていないが、確か🤔「君たちの心は、まだ誰も足を踏み入れたことのない真っ白な雪原のようです。大人たちは、それを汚そうと待ち構えています。でも、どうか、その純白な心を持ち続けてください」と言うような内容だったと思う(⁈)ーやっぱり、あおかった、うん👍
私は、直感的にきっと学校の不純な古狸の管理職とかとやり合って、追い出されたに違いないと思った。思春期の多感な我々は、そう言う大人の汚さみたいなことにすごく敏感だった。どこもそうだろうけど、校内政治があって、生徒の我々の耳にも入ってきていた。いわゆる、校長派と教頭派とか、体育教官室とか。我々には見せない教員の裏の顔があることぐらい知っていた。
友人に家業が旅館の娘がいた。彼女曰く、宴会で手に負えないのが教員と警察官だとか。教育実習で母校に行って、彼らを内側から見たとき、その裏の顔を垣間見て、私の観測は正しかったと納得した。
T 先生とは、授業以外で話したことはなかったけれど、もっと彼の授業を受けてみたかった。一人海辺の小さな高校に移っていった先生に、何か声をかけたかった。だから思い切って、転出先の学校の住所に先生宛の手紙を書いた。それは、先生に恋する生徒のラブレターなどと言うものでは全くなく、もっと硬質な内容だったと思う(すっかり忘れてしまったけど😔)
程なくして先生から返事が来た。「返事をしないと借りた金を返していないみたいな気分だから」と先生らしい理由づけから始まっていた。すごく美しい文字が並んでいた。自分の身に起きた顛末には、もちろん触れてはいなかったけど、正しく生きることのむずかしさみたいなことが読み取れた。最後に、あの離任式のスピーチと同じく、純真な気持ちを失わないで欲しいと記されていた。ただこれだけのことだけど、退屈だった高校時代の忘れがたい出来事であり、先生である。
当時の私は、突っ張っていて、生意気だったし、偉そうで理不尽な先生には挑戦的な生徒だった。特に、体育の先生が嫌いだった。体育会系特有の「根性」とか「忍耐」とか言って、「頭が全部筋肉」みたいなタイプの人。
我々のクラスは、いわゆる進学クラスで、彼らには「体育の授業は受験に関係ないから軽んじているんだろう」と思われていて、授業ではかなりひどくいびられた。至近距離でバスケットボールのボールを受けてみろと言われて、ほとんどぶつけられたも同然だったり、バレーボールのボールを顔面に当てられたりとか。痛くて、怖かった‼️
そんな彼らに抗議の意味もあって、体育の授業を結構休んだ。ある日、体育教官室に呼びだされ、「授業を8時間以上休んだものには単位をやらない」と言われた。10人ぐらいの生徒がいただろうか、みんな口を揃えて「単位は要らない」と宣言した(通院のためだったと言った1人を除いて。だが、何で毎回体育の時間に行くんだと追求されていたが🤷♀️。いつの時代も、そういう風に上手く立ち回ろうとする人間がいるもんだ)
休んだ理由を聞かれ、私は「体育の授業をもっと楽しんでやりたい」と答えた。「部活の選手ではないし、大会の代表でもない我々に、先生の求めるような高度なスキルは必要ない。恐怖心を感じる授業は受けたくない」と。
そんな折、バスケットボールの顧問であったその先生は、部活指導中に生徒の鼓膜を破る不祥事を犯し新聞沙汰になった。その後、その先生は借りてきた猫のようになって、我々の前に現れた。体育の単位は、もちろんもらえた。この先生も学年末に他校に転出して行った。
この武勇伝も、退屈だった高校時代のささやかな「成功体験」として心に残っている。当時かなりの権力を持っていると言われた体育教官室。そんな先生に立ち向かったあの出来事が、「処分を受けずによかった」という思いと「一矢報いた」という思いが入り混じって思い出される。
ところで、「情けは人のためならず」ー 今なら、絶対「自分のために行うことだ」と思う。「巡り巡らなくても」その行いをした瞬間に良い報いを受けていると思う。だって、そんなチャンスに恵まれたこと自体が幸運だから。そのことで、我々はささやかな幸せを受け取っているのだから。
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