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少子化って経済だけの問題なの?

補助金が出たり、手当が出たり、制度が整備されたら少子化が改善されるのだろうか?子供を産み育てることは、もっと個人的なことだと思うのはあまりにナイーブかしら?

この問題を経済的な視点で議論する限り、何ら改善には向かわない気がする。生活レベルが上がり、経済的にゆとりが出てきたからといって、いざ子作り、子育てということにつながるだろうか。

子供が可愛い、子育てが楽しいという個人のレベルで感じなければ子供を産み育てる気にはならないだろう。私など「子供が可愛い」と思えるようになったのは孫ができて心に若干のゆとりができてからである。自分の子育ての時期は、日本は子連れを疎ましい存在と見る社会だった。マレーシアにいたから、出産、子育てをする気になったようなものの、日本とりわけ東京などにいたら絶対子供など作らなかった。

日本に帰ってきた時、日本社会の子連れに対する冷たい視線を感じた。学齢期までをマレーシアで済ませてきたので、それ以上の苦痛はなかったけれど、ベビーカーの乗車拒否や乗客の冷たい視線がメディアを賑わしていたり、お母さんのワンオペなどが喧しく言われている限り、子供を育てたいという気持ちにはならないだろう。

そもそも少子化問題は将来日本の労働力不足に危機感を感じての政策であって、そこには「ブロイラーの鶏」みたいに増やそうとしている非人間的な国家の意図が感じられる。少子化問題を労働力という「もの」として考えている。「子供を産む機械」と言った発想と同じだ。あまりに国民を愚弄していないだろうか。

昭和の時代「貧乏人の子沢山」ということがよく人々の口に上った。「サザエさん」の漫画にもよく載っていた。何だか心があったかくなる話ばかりだったように思うけど。この時代は経済と出生率は比例していなかったようだ。

子供を産む産まないは個人の問題だと思う。どんなに金を積まれても嫌なものは嫌なのだ。だから政府も社会も「なぜ嫌なのか」を解明し、それを取り除くことに力を注ぐべきだ。

それが日本社会の抱える問題だとしたら長い時間を要するだろう。社会の意識が変わるには、10年20年などでは足りない。だいたい今の閉塞感。この空気はどこからくるのか?政府には、この国には明るい未来があるのだと示して欲しい。それが示されなければ、子供など作る気にはならないだろう。こんな状態が続くなら自分一人で十分だと思うだろう。もっとマシな世界があるならこの国を出て行くという選択肢だってある。

「子育ての喜び、楽しみ、そして苦しみ」は、経験を通してしか得られない。子育てをすると脳に「親性」(父性+母性⁈)が生まれることが実証されている。「子供が可愛い」と思えるゆとりが心にできるまでには結構時間がかかるのだ。こんな目線で少子化問題を語らなければ、問題の解決には至らない気がする。


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