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「初恋」の歌を味わう

「初恋」と聞けば、島崎藤村のあの詩だろう。

まだ上げ初めし前髪の林檎のもとに見えし時 花ある君と思いけり

だが「初恋」というタイトルの詩は、石川啄木にもある。私がときめいたのは、「一握の砂」に収められているこちらの「初恋」である。それも、この「初恋」に越谷達之助という人が曲をつけ、オペラ歌手が歌ったその作品にである。

砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日

この詩を読んだだけでは、きっとその情感はここまで伝わらなかったと思う。この美しいメロディーとソプラノの歌声が相乗効果を伴って私の胸に刺さったのだろう。

https://youtu.be/hCltaXxFQSM       (yutubeより転載)

「初恋」 作詞:石川啄木 作曲:越谷達之助 ソプラノ:森麻季

こちらは、鮫島有美子の「初恋」どちらが、好みだろうか?聴き比べてみてください。

「我々の初恋がなぜ破れるのか」について示唆に富んだコメントがある。

「二木絋三のうた物語」より
https://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/06/post_5c06.html

(以下、引用)
「ところで、初恋はなぜ破れるのでしょうか。初恋を成就させたという話も耳にしないわけではありませんが、たいていの人は初恋を失っているはず。初恋は破れる、遅かれ早かれ破れる、不可避的に破れる、破れるのが初恋だ、と断定してもよいほどです。

 これは、ほとんどの場合、若者の初めて恋する対象が相手その人ではなく、相手を素材として心の中に創り上げた幻影だったことに起因しているようです。よく耳にする「恋に恋する」という言葉は、これを表現したものといってよいでしょう。

 恋されているのが自分ではなく、自分の虚像だったことに相手が気づいたとき、あるいは自分が虚像に恋していたことに気づいたとき、初恋は終わりを告げます。

 人間関係の経験を積んで、相手の実像が把握できるようになると、次第に落ち着いた恋、いわゆる「成熟した恋」ができるようになります。
 しかし、その味わいは、初恋の甘美さには及ぶべくもありません。たとえ破れても、初恋の記憶は長く心を潤し続けます。

 多くの芸術作品が破れた初恋から生まれました。若者は破れることを恐れずに恋をすべきです。 (二木紘三)


すごく腑に落ちました。私にとってどれが初恋だったのか、いまだにわかりませんが・・・。「初恋の甘美さには及ぶべくもない」ーでもその感覚は恋の始まりで味わう甘美さとは別物なのでしょうか?経験の少ない私には答えられない問です。

私の場合、ラブストーリーを見ている時、お互いがお互いを好きだと認識するまでは強く感情移入して見ていますが、その後は感情が薄れていくのを感じます。悲恋になるのはイヤなのですが、成就してしまうのもつまらない。ズーッとドキドキ、ときめいていたいのでしょうか?それも結構疲れるのですがね🥹

藤村の「初恋」も曲がつけられていますが、私には啄木の「初恋」の方が格調高く感じられ、特に「初恋の痛みを遠くおもひいずる日」のリフレインは胸に響きます。

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