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今日ときめいた言葉73ー「ただこの事実を直視するだけでいい」 (「福田村事件」森達也監督の言葉)

(タイトル写真は、Joji.uplink.co.jpから転載)

映画「福田村事件」を見る。関東大震災時に流言飛語により多くの朝鮮人が虐殺された事実は知っていた(およそ6000人)。

この福田村事件は日本人が虐殺された事件である。私はつい最近まで知らなかった。それもそのはずで、1923年に起きた事件なのに1979年までの半世紀以上歴史の闇に埋もれていたからである。

殺されたのは香川県からやって来た薬の行商人一行のうち9人(胎児を入れると10人とする資料もある) 殺したのは福田村とその隣村の自警団。朝鮮人が襲ってくるという強迫観念にとらわれた異常な心理状況下での犯行。

加害の村ではこの事件に触れることはタブーだったこと。被害者の方は、被差別部落出身者だったなどの理由もあって、長いこと世に出ることがなかったらしい。

森監督が発した言葉が胸を突く:

「救いなどない。学ぶこともない。ただこの事実を直視するだけでいい。小賢しいメッセージなど不要だ。彼らは僕らの祖父であり父であり、そして僕ら自身でもある」

「自分自身が帰属する『市民社会』という主体に、この劣悪な思考停止と凶暴な衝動がひっそりと息を潜めていることを、とにかく骨の隋まで自覚することだ。別にオウムだけに擬える気はない。今の日本に蔓延するあらゆる事象や事件に、福田村事件は内在している。そしてここ数年、急速に露出しつつある」

 「しつこさは承知でもう一度だけ言う。お願いだ。直視しよう」

(かくも完璧な世界 森達也 「第4回ただこの事実を直視しよう」から)


関東大震災での朝鮮人虐殺に対して、「記録が見当たらない」などと不実なことを言って切り捨てる政府を市民が信頼するだろうか?

再び、森監督の言葉から:

「こうしてヒトは群れる生きものになった。つまり社会性。だからこそこの地球でここまで繫栄した。でも群れには副作用がある。……だってみんながてんでばらばらに動いていたら、群れは意味を失う。特に不安や恐怖を感じたとき、群れは同質であることを求めながら、異質なものを見つけて攻撃し排除しようとする。

この場合の異質は、極論すれば何でもよい。髪や肌の色。国籍。民族。信仰。そして言葉。多数派は少数派を標的とする。こうして虐殺や戦争が起きる。悪意などないままに。善人が善人を殺す。人類の歴史はこの過ちの繰り返しだ。だからこそ知らなくてはならない。凝視しなくてはならない」


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