今日ときめいた言葉50ー文章術「スピードだけがサービスじゃない。言い切らない。断罪しない。文章にふくらみを。人格に奥行きを」
(2023年5月23日付 朝日新聞 「新聞記者の文章術」編集委員 近藤康太郎氏の記事から)
上記タイトルの言葉は、前にも取り上げた近藤康太郎氏による「新聞記者の文章術」という連載記事からのものです。
文章術について、先の記事で近藤氏は、
「他者はわたしに興味がない。厳然たる事実です」
と書き、文章を書くにあたり「謙虚であれ」と戒められた。
そして今回の記事では、上記の言葉「スピードだけがサービスじゃない。言い切らない。断罪しない。文章にふくらみを。人格に奥行きを」を呪文のように唱えるようになったことについて書かれている。どちらの記事の言葉も私が文章を書くにあたっての心構えとして肝に銘じたいと思います。
「スピードだけがサービスじゃない」とは、かつて近藤氏が目指していた文章術が、「スピード感」重視だったことに対する自戒の言葉のようです。
それは、記事の読み手のスピード感を削ぐような表現ー言い古された常套句(国会答弁で官僚が使うような冗長な文章)や指示代名詞、数詞、固有名詞などの使用ーを極力避けることを念頭において記事を書いていたからのようです。
スピード命!摩擦係数ゼロ!
しかし、
「スピード感だけの文章は子供っぽい。近藤くんは会って話すと大人なのに、もったいないよ」
との先輩記者の言葉が近藤氏のスタイルを変えたようです。そして、続く、
「言い切らない。断罪しない。文章にふくらみを。人格に奥行きを」
は、私たちが文章を書くときばかりではなく、会話をするときにも有効な助言だと思います。
でもこれ、ジャーナリストとしてはどうでしょう?ニューヨーク・タイムズの記者の言葉と矛盾しないでしょうか?
ジャーナリズムは、憲法が求める役割に応えるために鋭い追求をすることが求められていると言っています。だからジャーナリストとして、「言い切らない、断罪しない」では、Watchdogとしての役目がはたせないのではないでしょうか?
はからずも好事例があります。元BPO(放送倫理・番組向上機構)委員の是枝裕和監督が、放送への今回の政治介入について、憲法違反であると放送局側はなぜ語らないのかと苦言を呈しています。放送局側は、萎縮して自己規制しているが、それはひいては、市民の知る権利を奪うことであると。
(2023年5月18日付 朝日新聞 「放送人 政治介入をなぜ語らないのか」元BPO委員・是枝裕和監督に聞く)