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今日ときめいた言葉108ー「意識は身体を決して統御、把握しきれない」

(写真はAI研究所から転載)

「身体という思うに任せぬ『自然』を、意識の力でねじ伏せようとすれば、必ず問題が生じます」

解剖学者 養老孟司氏の言葉である。(2024年1月13日付 朝日新聞「AIと私たち」から)

  AI(人工知能)を巡る昨今の状況についてたずねられて、養老氏が上記のように答えた言葉に共感する。以下は、養老氏のAIについての考え方概要である。

AIの内部では、一つ一つの単語(記号)は経験や感覚に対応(接地)しているわけではない。つまり、人間の問いの意味と意図を理解していないということである。このことを養老氏は「脳化社会の典型的な技術である」と言っている。「脳化」とは、身体という「自然」を排除して情報という意識の産物だけで世界を構成しようとすることである。

AIが自律的にものを判断するには、ヒトの五感に相当する『外受容』と空腹感などの『内受容』を伴う必要があると考えられているが、どちらもまだ持っていない。ヒトについても感覚という入力系と運動という出力系があるが、感覚系は、運動系の働きを理解も解説もできない。例えば野球の選手がなぜホームランを打てるのか。本人にも分かっていないように。

医者は患者の肉体を診ないで、カルテとパソコンの数値を眺めて診断し、政府は国民を番号で識別しようとしている。ここで笑い話として次のような体験を語っている。銀行に行って「本人確認の書類」を求められたが何も持っていなかった。そうしたら、

「困りましたね。養老先生だと分かっているんですけどね」(笑)

まさに、本体より影が実体として扱われ、身体は『ノイズ』になってしまっていると。だからメタバース(ネット上の仮想空間)は、脳化の純粋形であり、脳の中に世界を作り、アバター(分身)としてそこに住む。それはもうAI化に適合していくだけではなく、人間を改造してしまおうということに行き着く。

「ひとたび大地震に見舞われれば、脳化の産物たる東京などもろい。電気や水道やシステムが止まれば、人間は呼吸し、食べ、排泄する身体的存在だという当たり前の現実に向き合わざるを得ません」

「AI騒ぎがあらためて浮き彫りにしたのは、ヒトとは何か、生きるということはどういうことなのか、という問題」であると。


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