今日ときめいた言葉34ー真鍋博士の言葉「私は他の人と調和的な生活をすることができない」
この記事(日本語・英語版下記参照)を読んで、私が長い間感じてきた日本に暮らすことの居心地の悪さについて、こんなにも端的に表現してくれていると感じた。
私は、自分の思ったことを率直に発言したい人間だ。でも決して他者を傷つけようと意図したことは無い。だが、今まで自分の意見をはっきりと表現したことで、その集団の中で浮いてしまい、そのことで自分が傷つくといったことを繰り返してきた。
後になって、もっと言い方に気を配ればよかったのかとか、もっと所謂大人になってその言葉を飲み込んでしまえばよかったのかとか、色々思い悩んできた。
こんなふうに、いつも他者に気を使って、過ごさなければならない日本での生活は、とても窮屈に感じる。
マレーシアでの生活は日本人と関わらない限り、精神が解き放たれているように感じられた。だからボルネオ島にいた時は、心が穏やかだった。
クアラルンプールに引っ越して、日本人村と言われているコンドミニアムに入居して、日本人と接触するようになって息苦しさを感じるようになった。
茶飲み会では差し障りのない会話を延々とする。持ち回り制で誰かが主催するようになっていた。一度参加してもうたくさんだった。日本人のいないコンドミニアムに引っ越した。学校もアメリカンスクールにした。なんという解放感。
そこで事件が持ち上がる。日本人との接触だ。
日本人学校は中学校までしかないので、高校生になると結構な数の日本人の生徒がアメリカンスクールの高等部に入ってくる。彼らは英語があまり理解できないことと、環境に慣れていないことでいつも群れている。
それでも我々との接点はなかったのだが、年に一度のインターナショナル・デイ(学園祭みたいなもの)で、その高校生の親達と関わることになった。
インターナショナル・デイでは、国ごとに出し物を披露する。なぜか彼女達が出し物を仕切り出したことで、また不快な状態に陥った。
唐突に、彼女達から日本として、花笠音頭を踊ることにしたので練習のために日本人会に来て欲しいと連絡が来た。
私は日本人会を退会していたし、家から遠くにあるその場所に送り迎えするのも負担だし、小学1年生の子供に難しい振りを教え込んでまで、その踊りを演じさせることに疑問を持ったので、参加を断った(断ると言うことは、彼女達にとって想定外だったようだ)
当時の日本人会には序列があった。
夫の職業が、銀行、商社、大企業だと上位で、順に製造業、中小企業、、、となっていた。ああ、もちろん大使館員はその上の上だ(「うちは製造業関係だから下なのよ」と話しているのを聞いたことがある。)
大使との食事会などにも席順があったとか。誰が隣に座るかでもめたとか。いろいろ耳にした。夫の職業とその妻の序列は関係ないだろうに、ここでもそんな序列のルールにのっとった妻達が仕切っていた。
その後、小学生の母親の1人から電話が来て、どう返答したかと聞かれ、断ったと言うと、彼女も本心は断わりたかったのだが、波風が立つので参加と返答したとか。
聞くところ小学校の母親の多くは不本意ながら参加と返答したらしい。この問題は、私としてはすでに完結していて、関係のないことだったので、やり過ごせばよかったのだが、お節介の気質が災いして、小学生の母親と高校生の母親で会うことの段取りをした。
案の定、高校生の母親達は当然のこととして全員参加を求めてきた。いかにも日本人的発想で。
私が彼女達に言ったことは「小学生の子供達には、インターナショナル・デイの1日を楽しんで欲しい。日本の運動会の練習のような発想で時間を潰したくない。小学生のレベルにあった出し物をやりたい」と。
高校生の親達は非常に気分を害した様子だった。すったもんだあったけど分離実行となり、我々小学生組は、お神輿を作り、ハッピを着た子供達が担いで練り歩くことにした。
子供達はこの1日限りの日本のお祭りを大いに楽しんだ(と思う・・・・・) ちょっと多くの人の目を引いたらしく、中国語の新聞に写真(しかもカラーで😅)が掲載されて、学校の掲示板に張り出された。
高校生達は花笠音頭を踊った。これ以降、分離実行になった。高校生の母親達は、この異分子に相当不快だったようだが、我が子を思えば、彼女達の思いに寄り添うことはできなかった。
イベントが終わった時、高校生の代表の一人からは批判的な意見を、別な一人からは理解できるとのコメントをもらった。高校生の母親達も一枚岩ではなさそうだった。
その後、日本に帰国し、就職した学校の状況が万事このようだった。この学校の校訓は、皮肉にも「和の精神」だった。
事務職員会議では、みんなが沈黙している中で自分の意見を言った。そんな時、自分に言い聞かせていたのは「出る杭は打たれる。でも出過ぎた杭は打たれない」
子供が小さかったから、飲み会やサービス残業、職員旅行などは一切参加しなかった。そうして何年か過ぎた頃、呼び出されて飲み会は全員参加だから、出席するよう言われた。
その頃は子供も大分大きくなっていたし、夫に頼んで飲み会には参加するようにした。残業をしないことは、譲れなかったので、朝皆んなより早く出勤した。
私は、学校外で彼らと行動を共にしなかったことで、彼らとの仕事に支障をきたしたことはないし、迷惑をかけたことも無いと思っている。
こんな風に居心地の悪い気持ちを抱えて生きてきた。仕事を辞めて以降は、日本人のグループや団体などに属さないように生きてきた。自治会のような対外的なことは、全て夫が受け持っている。
一人でいる時が一番心が休まる。
日本の大学生が一人で昼食を取っている姿を見られるのが嫌で、トイレで食事をしているというニュースを見たことがある。
一人でいることがそんなにみじめなことなのか。どうして他者をそこまで意識するのか。友達がいないと思われることが、そんなにマイナスなことなのか。
どうでもいい友達ならいない方がいいと思うけど。
「友だち幻想」(菅野仁著)という本がある。我々は、人と繋がることを求めているが、我々が一番傷つくのも、その人によってであると言っている。
この本によると、アメリカ、韓国、中国、日本の高校生に「若いうちに是非やっておきたいことは何か」と言う質問に、日本の高校生は「一生つきあえる友人を得たい」とか、「いろいろな人と付き合って人間関係を豊かにしておきたい」と答えた人がかなり高い割合だったそうだ。
他の3ヶ国の生徒が、友人関係もさることながら、「自分を磨きたい」「偉くなりたい」と未来に対してアグレッシブな意見が多かったのに対し、日本の高校生は「偉くなりたいとは思わない」「そこそこ生活できればよい」と言う冷めた意識が目立ったそうだ。
そして他の3ヶ国に比べて「友人重視指向」が突出して高かったそうだ。この意識の違いはどこから来るのだろうか。
思えば、地方にある故郷を出て、都会に住んで銭湯に行った時、ものすごい解放感を感じた。こんなに多くの人がいるのに、私を知っている人が、誰もいないということはこんなにも自由なのかと。
生まれながらに、私がそういう気質なのか深く考えたことは無いが、日本人が作るコミュニティーの中に入ると私の心が息苦しいと反応するのだ。
(The Asahi Shinbun Globe+ 2021.10.08からの抜粋)
真鍋 面白い質問です。日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。彼らはとても調和的な関係を作っています。日本人が仲がいいのはそれが主な理由です。
ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします。日本で「はい」「いいえ」と答える形の質問があるとき、「はい」は必ずしも「はい」を意味しません。「いいえ」の可能性もあります。(会場から笑い)
なぜそう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないからです。だから他人を邪魔するようなことをしたくないのです。
アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません。実を言うと、他人を傷つけたくありませんが、同時に他人を観察したくもありません。何を考えているか解明したいとも思いません。
私のような研究者にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。(中略)
私は他の人と調和的に生活することができないからです。
(原文)
That’s interesting question, but in Japan people always worry about not to disturb each other. You know, they have a very harmonious relationship. And this is one of the important reasons why Japanese people get along so well with each other.
You know, they keep thinking other people, don’t do something which disturb other people. In the U.S., in Japan, if you ask some questions you get answer “Yes”, or “No”. When Japanese say “Yes”, it does not necessarily mean “Yes”, it could be “No”.
Because they don’t want to hurt other people’s feeling much more than anything else. And so, you don’t want to do anything which is disturbing to other people.
And U.S. I can do things that I want like. I don’t worry too much about what other people feel. Because as a matter of fact, I don’t want to hurt other people’s feeling, but I’m not observing enough other people to figure out what they think.
I found living in the U.S is wonderful!
And probably research scientists like me, I can do whatever I please in my research.
(中略)
So that is one reason why I don’t want to go back to Japan, because
I’m not capable of living harmoniously.
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