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責任重大バタフライ・エフェクト【短編小説】

バタフライ・エフェクトという言葉をご存じだろうか。そう、「ある一羽の蝶の羽ばたきの様な小さな出来事が色々な要因を引き起こしながら回りまわって大きな出来事になってしまう」という事を指す言葉である。日本でも「風が吹いたら桶屋がもうかる」みたいな言い回しがあるが、まあ大体同じようなものだろう。同名の映画を覚えておられる方も多いのではないだろうか。

もともとは気象学者のエドワード・ローレンツがこの考え方を発表した時の『ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』という講演の題名から来ているらしい。

「どんなに初期の差が小さくてもさまざまな要因によって変化は進み、どのような結果や未来が訪れるかは誰にも判らない」という、カオス理論における予測困難性を表す表現でもあるとのことである。

人生も小さなバタフライ・エフェクトの積み重ねだと言えるだろう。日常の小さな出来事がその先の未来を決めている。それは時に誰かに言った他愛のない一言だったりする。この話は高尚なカオス理論の話などではなく、ちょっと切ない、ある男の思い出話である。

***

その男の名は星野 圭介ほしの けいすけ。ある大手電機メーカーの社員だが、日本に妻と子供を残して単身赴任でシカゴ駐在中の身である。もう家族と離れての生活も3年になる。そんな星野の元に本社から一通のメールが届いた。

東京本社の研究開発部門所属の研究員が、星野の支社のあるシカゴで毎年開催されている学会に研究発表のため参加するので滞在期間中サポートして欲しいと言う内容だった。

展示会も併設されるその学会は、毎年数万人が参加する北米でも1、2を争う規模のイベントであり、その経済効果は一週間で1億3000万ドルともいわれている。通常このような学会の総会は年毎に様々な都市に場所を変え開催されることが多いのだが、地域にお金を落とすこの学会だけはシカゴ市長が手放さないのである。そんな訳でその年も例年通りシカゴでの開催だった。もともと星野は市場動向調査で毎年この学会に出席しているのでお安い御用だった。

そのメールには研究員の名前が書かれていた。

研究開発部・開発2課・主任研究員
船越 晶良ふなこし あきら(工学博士)

(ふなこし…さんかあ … )
星野も開発部とはつきあいもあるが、心当たりのない名前だった。おそらく東京の本社にいた時にも会ったことはないだろう。

星野はそのメールに CC. で入っていた船越のメールアドレスに、本社からの依頼のシカゴでのサポートの件了解した旨のメールを送った。また到着の日には空港に迎えに行くことを伝え、何かあった時に連絡がつくように携帯電話の番号もそこに書いた。

直ぐに船越から、滞在中はお世話をかけますがよろしくお願いしますと、丁寧な文面の返信メールが届き、そこには船越の携帯の番号が書かれていた。

***

学会開催の前日、星野はシカゴの国際空港の到着ゲートで船越の姿を探した。予定のANA便はとうに到着しているはずだった。

到着ゲートを出たところには、旅行者のような日本人が何人かいるが、研究者っぽい人間は見当たらない。星野は事前に聞いていた携帯電話を鳴らしてみた。

呼び出し音はするが、だれも出ない。その直後、そばにいた小柄な女性の携帯が鳴り始めた。女性が電話に出ると同時に星野の電話からも女性の声が聞こえてきた。

船越 晶良ふなこし あきらは女性だったか!

星野は電話を耳に当てたまま、その女性の方を向き「船越さんですか」と聞いてみた。その女性はこちらを向き大きく目を開くと、ホッとしたような表情を浮かべ「あっ、そうです」と答えた。

星野が電話を切り、「男性だとばかり思ってました」と言うと、
「そうなんです。良く間違われます。画数も多くていやなんですよ」と船越 晶良ふなこし あきらは答えながら名刺を出した。名前の後に Ph.D. in Engineering(工学博士)と書かれていた。

(おお、そういう感じじゃないなあ)

星野は、勝手に銀縁眼鏡の中年男性を想像していたところに、30前後の小柄な今時の女性が現れたのでちょっとたじろいだが、話してみれば礼儀正しく分別のあるリケジョのようで安心した。晶良あきらは基本的にはニコニコしたり恥ずかしそうな顔をして見たり表情豊かだったが、星野が大事な事を話している時にはじっと真っすぐ目を見て聞く姿に、星野は改めて聡明な印象を受けたのだった。

星野は自己紹介を済ませると、空港の駐車場まで晶良あきらのスーツケースを押した。誰かから借りて来たのかと思うような、小柄な彼女には不似合いの古びてちょっとダサい大きなスーツケースだったが、そこに付けられた船越と書かれたネームタグが何故か似合っていて、星野はそこにも実用重視の実直な人柄を見たようで親しみを感じたのだった。

***

学会は、国際学会と関連企業機器展示の二会場に分かれて6日間に渡って開催されるものだった。会場は25万㎡もあるコンベンションセンターで、とても1日で回れる広さではない。晶良あきらもいくつかの発表の他にも、主催団体の学会やコンソーシアムのミーティングやセミナーへの参加などがあり6日間フルの滞在だった。星野も夜の懇親の会合等には一緒に参加した。

晶良あきらは順調に会期をこなし、自分の発表でもまあまあ予定していた成果が得られたので満足している様子だった。学会最終日は昼ほどで終わりだったので、星野は支社のメンバーも誘い地元の店に晶良をつれて食事に出かけた。昼からの酒宴となってしまったこともあり、また学会のお役目も終わってホッとしたためか晶良は饒舌だった。

星野とももう6日も一緒にいるので打ち解けたようで、「今回の出張ではお世話になった。こんな海外で仕事をしているなんて羨ましい。やはり年上の男性は頼りになる。これからも色々相談に乗って欲しい」などと褒め殺しモードになっていた。

酔った解放感での、おだて半分なのだろうが、それを聞き星野も嬉しい気分になり、まだ明るいのでミシガン湖沿いの公園を案内した。支社の同僚は客と打合せがあると言い事務所に戻って行った。ミシガン湖はまるで海のような大きな湖だがそのほとりの公園には色々な花が咲いていた。

「え、アメリカでもアヤメが咲くんですね」

晶良あきらの指さす方を見ると Dwarf Lake Iris と書かれた札があり、確かに花札に描かれた菖蒲のような花が咲いていた。

彼女は「アヤメの花、大好きなんですよ。実家の庭にもたくさんあったので思い出すんですよ」と言った。

***

公園で引き続き地元のクラフトビールを飲みながら話していると、晶良あきらは会社の様子を話し始めた。そしてしばらくして共通の知人の話になると「本社の製品企画部の高田さんって知ってますか?」と言ったのだった。

星野は、東京本社勤務の頃に高田と一緒の部で働いた事があった。確か中途入社で、年は確か星野の2、3才年下、まだ独身だったはずだ。仕事で何回か絡むこともあったが、あまり自分の意見も言わずに空気を読んで有利な側を上手く選んでついて行く、ちょっとズルいところがあるタイプだった印象があった。

「お、昔一緒の部署にいた事があるよ。高田の事知ってるの?」と聞くと、鼻の上に皺を寄せて楽しそうに笑いながら「高田さんって、なんかちょっとイヤらしい感じしませんか」と冗談めかして言ったのだった。

なぜ、イヤらしいなどと言うのか気になったがすぐには聞かずに、「そうか研究開発なら仕事で接点あるよね …」と言ってみると、晶良はそれとなく少し言いにくそうに話し始めた。

ある製品企画のプロジェクトで一緒に仕事をする機会があるのだが、開発チームでの打合せとは別に、何か事ある毎に二人きりでの打合せに誘われると言うのだった。最初は都合が合わず断っていたのだが、その後もそれが何回か続きちょっと微妙な感じがしてきたのでそれとなく距離を置いていると言う。

晶良は「でも、きっと自分が自意識過剰なだけでもしかしたら思ったよりもいい人なのかなとも思う」と言った。

そして「でも、全くタイプじゃないので期待させても悪いし、どう思いますか?」と聞いてきた。

「どう思いますか」と言われてもどうも思わないのだが、何か答えなければならない雰囲気だった。

まあ、率直に感想を述べると、誠実さに欠ける小狡いタイプという印象だったのだが、それをそのまま口にするのも大人気ないと星野は感じた。一応、人のいないところで噂話や悪口を言うのは男として見苦しい!というのが星野の人生ポリシーだったのだ。そしてその上「せっかく褒められているので、ここは引き続き晶良あきらさんに、鷹揚な大人と見られておきたい」という気持ちがあったのかもしれなかった。

星野はふとなにか褒めるところないかなと考え、高田が昔「インドにバックパックで旅行をしたことがある」というような話をしていたのを思い出した。確か「下痢ばかりして直ぐに帰って来た、食べ物も口に合わずあれは人間の行くところじゃない」というようなありきたりな話だったように思うが、そこは少しポジティブに響くように「いやあいつ、ああ見えて面白い男で無銭旅行でインドを回っていた時期があるらしいよ」と言ってみた。

「え、なんか細かそうで全くそんなタイプには見えないけど、そんな一面があるんですか」
「人は見かけじゃわからないからね。そういう経験している人間は実は結構深くて面白いよね」

一般論を言ったつもりだったが、晶良あきらは高田を指してのコメントだと思ったようだった。
「そうなんですか。高田さんってそんな人なんですね。意外でした」と言って彼女は何かを思い出すような顔で考えていた。

星野は(いや、あいつはそういうタイプじゃないけど … まあいいか、わざわざ悪く言う必要もないしな)と思いながら話題を替えるつもりで、「晶良あきらさんはインドとか行ったことあるの?」と聞いて見た。

すると彼女は、そういう破天荒な人生に憧れるがそんな勇気はないので、そういう事ができる人に憧れてしまうのだと言った。

翌日、空港に送ると彼女は「また来年の学会でも演題登録に申し込むネタがあり、通ったら発表に来るのでその時はまたお願いします」と言いゲートに消えていった。

***

そして翌年の春のことだった。星野の元に社内ニュースのPDFがメールで送られてきた。最初に星野は文書の中に、晶良あきらの名前を見つけ、「おお、元気なのかな」と思いながらその記事を読み直したがその先を読んで自分の目を疑ったのだった。

読んでみると「結婚のお知らせ」と書かれてあり「おめでとうございます」という明朝体のヘッダーの下に、なんと船越 晶良ふなこし あきらさんが高田さんと社内結婚しました、どうぞお幸せに、と言うようなことが書かれていた。今でこそ社員の結婚など社内でアナウンスしないが、その頃は結構企業がプライバシーに踏み込んでいた時代である。

「た、高田と結婚?」

星野はウェディングドレス姿の晶良あきらの横で勝ち誇ったように細い目でニヤニヤしている高田の姿を思い浮かべた。
「なんでまた、そんな … まあ男に免疫なさそうだったからなあ」

もし本社にいれば、ちょっと情報通の女の同僚などに経緯を聞くところだが海の向こうにいる星野にはそんなネットワークもなかった。またメールで誰かに聞くのもおかしな話なので、他にできることもなく星野は心の中でひたすら(しかしなんでまた、そんな)とつぶやくだけだった。

***

そしてまたあの学会の季節がやって来た。今度は晶良あきらから直接、「演題も通って今年も発表のため出張に行けることになった」とメールが来た。星野も学会に参加する予定だった。

1年ぶりの再会だった。今年はもう空港への出迎えは必要ないとのことで、彼女は空港からまっすぐ支社に顔を出した。久しぶりに会った彼女の出した名刺には「高田 晶良たかだ あきら」と書かれていた。

「おお、そうか。タカダアキラになったんだよね」と星野が言うと、
「そうなんです。実はジャパネットの社長もタカダアキラなんですよ。同じ名前になっちゃったんです」と笑いながら言った。

そして、結婚の決め手を聞くと、前回の出張の時に星野がした「高田のインド放浪」の話なんだと言った。

日本に帰った後でまた高田に誘われた時に、断るために話題をそらそうと思った時にそのインドの話を思い出し「そういえばインド放浪されたことがあるそうですね」と言ったら、急に目を輝かせて、いかに若い頃に破天荒で危ない目にあったか、そんな体験を経てインドで自分を見つけた、と言うような話をしてくれて、それがきっかけでなんとなく付き合うようになったのだと言った。

はなし盛ってやがるな。下痢して帰ってきただけじゃなかったっけか?)
星野は複雑な気分だった。

(しかし、あの俺の思いつきの一言がきっかけ作っちゃったのか、まさか結婚にまで進展しちゃうなんて責任感じるなあ … あの時俺が「アイツはやめとけ」って言ったらどうなってたんだろうか、まあもうこうなったら幸せを願うしかないわけだが、こんな展開もあるんだなあ。まあ高田ももう変わっているかもしれないしな)

そんな星野の心中を知る訳もなく、晶良あきらは「結婚後も仕事は続けているし生活ペースもそれほど変わらずまあ楽しくやってる」のだと言った。

(まあ、世渡り上手だったのでマメないい旦那をやってるのかもしれないな)と星野は思った。

その年の学会はもう慣れたもので、星野はそれほど晶良あきらの世話を焼く必要もなかった。またもう既婚者なので仕事とは言え、あまり遅い時間までアテンドするのもはばかられたのだった。

それでも晶良あきらは以前と変わることなく、会期中星野に様々なアドバイスを求め、また星野の助言に感謝の姿勢を見せた。そして学会が終わると「また来年もよろしくお願いします」と言い残して日本へと帰っていったのだった。

***

そして数年後のある日の事である。星野の元に昔の同僚から社内の不祥事に関するメールが送られてきた。やっぱり高田は変わっていなかった。なんと業務上横領で取り調べを受け、結果的に退職したのだと言う。社内でも細かい事情はオープンになっていない様だった。星野は晶良あきらがどうしているのか気になった。

しかし、その後しばらくして、晶良あきらから退職すると言うメールが来たのだった。

その高田の事件で色々とあり、最終的に離婚して船越 晶良ふなこし あきらに戻った。また会社にも引き留められたが何かと気を使われるのを感じるので居辛くなったので、思い切って会社を辞め、また業界もきっぱり変えて何か別の仕事をしようと考えており子供と一緒に引っ越すことにした、という内容だった。

星野は晶良あきらへの返信で「高田を推したのは自分のようなものなので心苦しい」と詫びたが、晶良あきらは全くそんなことはないので気にしないで欲しいと答えて来た。星野は何か役に立てることがあれば言って欲しいと連絡した。

そのメールを最後に晶良から二度と連絡が来ることはなかった。星野も晶良の連絡先がわからなくなりそれきり連絡が途絶えたのだった。そして5年が過ぎた。

***

ある日の夜、残業を終えて帰ろうとする星野のスマホのFacebookに「知り合いかも:黒沢 晶良」とメッセージが現れた。星野はそれを見て、直感的に晶良あきらが再婚したのだと思った。おそらく晶良あきらは何かの時のためにまだ星野の電話番号を彼女の電話に登録してくれていたのだろう。

フェイスブックが、アカウント新規作成時にそのスマホの住所録に登録のある電話番号を元に、知り合いである可能性のある人間をマッチングする仕組みになっていることは星野も知っていた。その黒沢 晶良というアカウントのアイコンには晶良あきらが好きだと言っていたアヤメの花の写真が使われていた。

それを見た星野はこのアカウントの主は彼女だと確信し、また再婚相手のものであろう新しい名字を見て胸のつかえが下りたような気がした。

(はは、クロサワ アキラって… まあ、ジャパネットよりはいいな)
星野は笑ってしまったが、同時に今度こそ幸せになって欲しいと思った。

いっそメッセージを送ってみようとも思ったが、それがまたどんなバタフライ・エフェクトを生むかわからないなと思い直し、星野はスマホを鞄にしまうと事務所の階段を降り、すっかり暗くなったシカゴの街を歩きだした。


* この話はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
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