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長崎に住む幻の叔母

子供の頃、良く同じ夢を見た。

「長崎に住む親戚の叔母を一人で電車で訪ねる」という夢である。しかしその頃の私にとって長崎は縁もゆかりもない土地だった。まして親戚がいるなどと聞いたこともなく、なぜ見も知らぬその街の夢を繰り返し見るのか子供心に不思議に思っていた。

私の生まれ故郷は日本海に面した港町で、小学生の私にとって九州といえば坂本竜馬の生まれ故郷というようなイメージしかなく(それすらも見事に間違っている訳だが)、まして長崎というのは社会科の教科書でしか見聞きしたことのない遠い街だった。

「長崎」という言葉の響き自体、エリマキトカゲのような服を着たザビエルのような外国人が住む異国を連想させ、同じ時代に存在する人々が生活する身近な街を想像することができなかった。

しかし夢の中に出てくる長崎はいつも鮮明で具体的だった。毎回、私は母親に「長崎の○○○叔母さんに渡してね」と言われて何かとても大きな包みを持たされ、心細い気持ちで電車に揺られて長崎に向かうのだが、いつも長崎駅に着く頃に初めてその叔母の家の住所も電話番号も持ってこなかったことに気が着くのだった。

そして、二階建ての平たい建屋の駅に着いた私は改札を出て、不安な気持ちに包まれたまま駅前の町を見回し、一度だけ行ったことのある叔母の家への道順を一生懸命思い出そうとするのである。

駅の周りの様子はいつも同じだった。ゆるく傾斜のついた広い道路の上に路面電車用の撓んだケーブルが張られ、その下を時折、色の濃い電車が行き来していた。そして駅の周りには背の低い灰色っぽいくすんだ色の同じような建物が立ち並んでいた。

毎回夢の中でそんな風に駅前で途方にくれて叔母の家への道順の手がかりになるものを探すせいか、朝寝床で夢から覚めてからも、大通りの向こうの雑貨店など駅前の様子が鮮明に頭に残っているのだった。

夢なのだから少しは変化があっても良さそうなものだが、毎回同じ名前の叔母さんを尋ねて同じ景色の同じ街に行くという寸分変わらぬ夢なのである。そして最後は少し心細い気持ちで街を見回し、意を決してある一本の路地に入り歩き始めるあたりで夢は終わるのだった。

そのため、結局その叔母さんの顔を見ることはなく、もちろんその大きな包みも渡せずじまいだった。「もしも、長崎に行って駅前の町並みが夢と同じだったら面白いだろうな」などと思ったりもしたが、そのような機会も訪れないまま、いつしか私も子供ではなくなりその夢を見ることはなくなったのだった。

その後、大人になり夢のことはずっと忘れていたのだが、数十年経った後に生まれて初めて仕事で長崎の街を訪れることになった時に、ふとその夢のことを思い出した。私は空港から長崎駅に向かうバスに揺られ(もしかしたら駅前の町並みが … )などと少し胸騒ぎを感じながら駅前に降り立ったのだった。

しかし目の前に広がる景色はあの夢になんとなく似ているような気がするものの、時を経て整然と近代的な建物が立ち並ぶその景色を昔の記憶と重ね合わせるのは難しかった。

叔母の家に向かって歩いた路地に似た細い道もあり、少し歩いて見ようかなどという気持ちも心をかすめたが、時計を見ると約束の時間が迫っていた。私は、あの夢が何かの暗示だったのならば、きっと放っておいてもいつか何か起こるだろうなどと考えながら、気持ちを現実に戻し待ち合わせの場所に向かったのだった。

その後も何度か長崎に行く機会があったが、段々と現実の長崎の印象が強くなったせいか、夢の中でいつも見ていた景色も少しずつぼやけた記憶になってきた。

今となってはあの夢がどのような意味を持っていたのか確かめる術もない。しかし、何かのはずみにあの夢を思い出す時に、「いつかあの叔母と同じ名前の女性が目の前に現れて何かの謎が解けるのだろうか」などという思いに囚われるのである。

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