マクベス実験No.68

そして、・物語が始まる。
私が「音楽」と述べた時に(因果の流れ)君の世界には音楽="彼,queは一流のピアニストである,の調べ"が広がる=<君の世界には音楽が広がる広がる音楽は彼の調べ>は君を包み込むだろう/実のところ僕は何も話したくないんだけれど(逆説)それは不可能だ(因果の流れ)よって語らねばならない/そして今世界は構築されつつある。音楽は第8番イ短調k.310,queは彼の最も好むピアノソナタであり、そして彼が私に初めて聞かせてくれた楽曲でもある。今も彼の調べは流れている。

【定義】
君:その瞬間に、この文章の流れを目で追っている精神
君たち:読者全般を指し示す。
私:集合的自我、統合的自我、あるいは全ての物
僕:発話主体−無意識=僕
世界:物理的次元における言葉の総体。[注]一部領域において私と世界同義として扱われるが、私のほうがより包括的な用語である。
音楽:世界と対を成すものであり、世界同様私において包括されている。

このような定義を僕に教えてくれたのは、文学物理学の権威である佐々木教授である。彼の協力がなければ、僕はこのような文章を書くことができなかったであろう。彼の明晰な理論によって、僕は私を経由して文章を生成することができる。実に辛いことであるが、先日彼は交通事故でなくなった。しかし、彼の理論は僕に受け継がれ、そして僕の文章を読んだ君に受け継がれ、永久に忘れ去られることはない。彼の理論について、詳しく知りたい方は彼の主著である『量子と文字における楕円形演算モジュール』を読んでいただきたい。ここでは、彼の主要な概念である文字重力仮説が取り扱われている。僕は文学物理学の門外漢であり、詳しく述べることができないために、ここでは生前佐々木が述べていたことをそのまま引用するに留めることにする。佐々木は曰く「文字重力仮説というのは、通常の文字には微量ながら重力が働いているという仮設なんだがね、なぜこのような仮設を必要とするかといえば、まったく別の法則について語るためなんだ。というのも、高度に圧縮された精緻な文章がある種の真理に到達しているのは哲学的に見ても間違いないわけであるけれども、同時にそれらの文章は粒子的レベルにおいて物理法則を逸脱した現象として現れる。つまり、一部例外的な粒子において重力が通じないのと全く同じ理由で、高度に圧縮された文章、文字は通常の文字の運動とは全く異なった運動を起こすということなんだけれども、例えば夏目漱石の文章における「私」という言葉は通常の文字とは異なる物理法則を必要とする。そのために、僕が開発したのが楕円形演算の公式であり、この公式を使えば、大抵の文学作品はその物理法則を再現実化することができる。再現実化というのはここでは、文学物理学の専門的な用語であって、哲学用語ではないのだけれども…」云々というわけである。なるほど、どうも私は文学物理学者には向いてないらしい。しかし、なぜだか彼から教えてもらった文学物理学の用語の定義だけは、僕には明瞭に理解できる。例えば、文学物理学では私と僕という文字を全く別の物質として扱う。これは、僕にははっきりとわかる気がする。
とにもかくにも、僕はこの小説において、文学物理学の専門用語、文学物理学の専門的なシンタックスを多用するわけであるが、どうか君たちは気負わないでいただきたい。というわけで、余談は終えて、物語を始めよう。
今正に、演劇は始まろうとしている。

彼,ピアニスト,の調べは既に会場に充満しているわけであるが(逆説)君たちにはまだ届いていない。閉じられた世界とは別の次元で君に干渉することができる唯一の方法は音楽である<せかいと音楽の定義を参照>というのに(逆説)なんて悲しいんだ。僕は私に到達しようと常に努力している。そして(順接)その唯一の方法は音楽であるというのに。舞台,que照明が当てられた,には数名の役者,は各々派手な色の服を着ている,がいる。(逆説)彼らの動きに統一性は見られない。彼,queは赤と白のチェックシャツを着ており、左手に時計をつけている,はマクベス,queはシェイクスピアの演劇である,を演じているし、彼女,queは彼とは約50センチ離れたところにいる,もそれを演じている。複数のマクベス、複数の 無作為抽出されたマクベス

"文学言語における放物線を画くこと"が我々=<文学物理学者(≒の継承者)>の最大の目的とも言える。<It is> 文学言語<that>におけるヴェクトルの問題は大変重要だ。=ヴェクトルの問題で大変重要なのは文学言語だ。言語の方向性を定めるのは文学作品の力[=ピュイサンス]にほかならない。そこ(私)に力がある限り、我々は物理学によって文学を解明することができる。
[佐々木洋次(1969)『文学物理学の起源』より]

現実における最大の法則に気づいたという点において、ニュートンは史上最高の読者であると言える。我々の目的は、現実における法則の解明ではなく、文学における法則の解明である。しかし、法則を発見することを目的とするわけではなく、それよりも文学世界の観察者としてのニュートン(=発見者)の代理となる数式(=発見装置)を発明することにある。現実を超えた領域に法則を見出そうとするという我々の目的に対して、君たちはシュルレアリスト的だと謗るかもしれない。しかし、君たちがそう思うのならば、我々はその皮肉を受け入れよう。我々は科学的シュルレアリストである。超現実科学、これは空想科学とは似て非なるものである。【佐々木洋次(1958)科学的シュルレアリスム宣言】

ー実験開始ー

僕の目的は、私を通して世界の数式を観測することである。そのために、実験を行っている。観測データは無作為抽出された複数のマクベス。僕は私を介して、マクベスの世界の物理法則における数式の導入を行う。佐々木が確立した文学物理学における実験の手法は単純だ。折り開かれた物語に、僕を投げ入れ、私と世界と僕の分裂を物語の中に折り込む。あとは観測を待つのみである。天文学が、その発展の末に宇宙に人工衛星を放ったのと同様に、文学は、その発展の末に文章に衛星を放つ。このようにして、実験は始まる。いや、既に実験は始まっている。

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