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リバタリアンの教育/ピーター・ティール

以下はケイトー研究所の論壇フォーラムCATO UNBOUNDに2009年4月13日に公開されたピーター・ティール(1967-)のエッセイの翻訳である。(*)で挿入された文章は訳者注である。編集者注として公開されているピーター・ティールのコメントは後日別の記事で公開する予定。



私は10代の信仰、つまり最高善の前提条件としての正真正銘の人間の自由のためにコミットし続けています。私は、没収するような税、全体主義的な集団、そしてすべての個人の死の必然性というイデオロギーに反対します。これらすべての理由から私は今でも「リバタリアン」を名乗っています。

しかし、この20年でこれらの目標をどのように達成するかという問題について、私の考えは根本的に変わってしまったということを告白しなければなりません。最も重要なことは、私はもはや自由と民主主義が両立可能だとは考えていないということです。私の考え方の変遷をたどることで、今日、すべての古典的リベラル派が直面している課題の一部を明らかにしたいと思います。

1980年代後半にスタンフォード大学の学部で哲学を学んだ私は、自然に議論の公平なやり取りや政治的な手段で自由をもたらすという願望に興味を惹かれました。私は一般的なキャンパスの正当性を問うために学生新聞を創刊しました。私達は大学の制定したスピーチコード(*法的規制を超えて職場や大学によって決められた発言の制限や禁止の規範)を取り消すなどのいくつかの限定的な勝利を収めました。しかしより広い意味で言えば、私達は労力に見合った成果を達成することはできませんでした。その多くは、第一次世界大戦の西部戦線における塹壕戦のようなもので、多くの虐殺が行われたが、私達は議論の中心を動かすことはできなかった。今にして思えば、私たちは主に聖歌隊に向かって説教をしていたのです。たとえそれが聖歌隊のメンバーに一生歌い続けさせるという重要な副次的な効能をもたらしたとしても…です。

1990年代にマンハッタンで若き弁護士兼トレーダーとして働いていたとき、私はなぜそれほど多くの人が大学卒業後に幻滅するのかを理解し始めました。世界はあまりにも大きすぎる場所のように思えます。世界の執拗な無関心と戦うよりも、私のまともな仲間たちは彼らの小さな庭の世話をすることに後退しました。IQが高い人間ほど自由市場の政治に悲観的になります。賢い保守派の間では、この悲観主義がたびたび英雄的とも言える飲酒の中に現れました。対象的に賢いリバタリアンは実定法に対するこだわりはないため、アルコールだけではなくアルコールを超えたものへと逃亡しました。

2009年を振り返ると、リバタリアン政治の見通しは実に厳しいように思われます。図Aはあらゆるモラルハザードに対して保険をかけた政府によって促進されたあまりに多すぎる債務とレバレッジにより引き起こされた経済危機です。そして私達はこの危機への対応には遥かに多くの債務とレバレッジそしてまた遥かに多くの政府が関与することを知っています。自由経済を主張した人々はハリケーンに向かって叫んでいるのです。ここ数ヶ月の出来事は政治志向のリバタリアンの残された希望を粉々に打ち砕くものです。2009年のリバタリアンである私達にとって、私達の教育は政治家の広範な教育が無駄なものになってしまったことを知ることで最高潮に達します。

実際、さらに悲観的には、これらの傾向は長きに渡り間違った方向へと進んできました。金融に話を戻すと、米国で大規模な政府介入を伴わなかった最後の経済恐慌は1920年から1921年にかけての崩壊でした。この不況は急激でしたが短く、真の好景気につながるシュペンター(*ヨーゼフ・シュペンター(1883-1950)チェコ生まれの経済学者。企業の行う不断のイノベーションが経済を変動させるという理論を構築。経済成長の創案者。主著『理論経済学の本質と主要内容』(1908年)『経済学史 : 学説ならびに方法の諸段階』(1914年)『租税国家の危機』(1918年)など)的な「創造的破壊」を伴うものでした。その後の十年間、すなわち1920年代の隆盛は歴史家がその始まりとなった恐慌を忘れてしまうほどの勢いでした。1920年代はアメリカの歴史の中で本当に政治的に楽観的になれた最後の10年間だったのです。1920年代以降、生活保護受給者の増加と女性の参政権の拡大というリバタリアンにとっては苦手な2つの層が「資本主義の民主主義」を矛盾したものにしてしまいました。

これらの現実に直面して、視野を政治的な世界へと限定すると絶望してしまいます。私が絶望しないのは、もはや政治がこの世界のすべての可能な未来を網羅しているとは信じていないからです。現代における、リバタリアンにとっての大きな課題は、全体主義や原理主義の破局から、いわゆる「社会民主主義」を導く無思想のデモまで、あらゆる形態の政治から逃れる方法を見つけることです。

そこで重要になるのは、政治を経由するのではなく、政治を超えていかに脱出するかという手段です。真に自由な場所はこの世に存在しないのだから、逃避するための手段には、未知の国へと導いてくれる、これまでにない新しいプロセスが必要なのではないかと思います。そのため私は自由のための空間を作りうる新しい技術に労力を払ってきました。ここでは、そのような技術的フロンティアの3つをざっと紹介したいと思います。

(1)サイバースペース
私は起業家、そして投資家として、インターネットに力を注いできました。1990年代後半、PayPalの創業時のビジョンは、政府の支配や希釈から解放された新しい世界通貨の創造であり、いわば通貨主権の終焉でした。2000年代に入ると、フェイスブックのような企業が、歴史的な国民国家に縛られない新しい反体制の方法や新しいコミュニティを作るための空間を作り出しました。新しいインターネットビジネスを始めることで、起業家は新しい世界を創造することができるかもしれません。インターネットの希望は、これらの新しい世界が既存の社会や政治の秩序に影響を与え、変化させることができるということです。インターネットの限界はこれらの新しい世界は仮想的なものであり、いかなる脱出さえも現実よりさらに創造的なものになるかもしれないということです。長年にわたって解決されない未解決の問題は、インターネットに関するこれらの説明のどれが真実であるかということに集中しています。

(2)宇宙空間(アウタースペース)
広大な宇宙空間は無限のフロンティアであり、世界の政治から逃れる無限の可能性を秘めています。しかしこの最後のフロンティアは参入するにはまだ障害があります。つまり、1960年代以降ロケットの技術はわずかな進歩しか遂げていないために、宇宙空間は未だに実現不可能なほどに程遠い存在のままであるからです。私達は宇宙の商業化に努めなければなりませんが、そのためには現実的な時間軸を持たねばなりません。ハインライン(*ロバート・A・ハイライン(1907-1988)アメリカのSF作家。主著『夏の扉』(1956))のような古典的なSFのリバタリアン的な未来は、21世紀の後半までには実現しないでしょう。

(3)海上都市(シーステディング)
サイバースペースと宇宙空間の間には、海を開拓し定住するという可能性があります。私の考えでは、人々がそこに住むかどうかという疑問(答え:十分に住むでしょう)は、海辺の開拓技術が差し迫っているかどうかという疑問の二次的なものです。私の立場からすると、その技術は、インターネットよりは暫定的なものですが、宇宙旅行よりははるかに現実的です。私達は経済的に実現可能な段階に来ているのかもしれませんし、もうすぐ実現可能になるのかもしれません。それは現実的なリスクであり、だからこそ私はこの取り組みを熱烈に支持します。

テクノロジーの未来は予め決まっているわけではありません。そのため、テクノロジーにはそれ自体の勢いや意志があり、より自由な未来を保証してくれるという考え方、つまり、私たちの世界における政治的な問題の恐ろしい弧を無視できるという考え方、つまりテクノロジー・ユートピア主義の誘惑に私達は抵抗しなければなりません。

もっと良い例えは、私たちは政治とテクノロジーの間で死闘を繰り広げているということです。未来は良くも悪くもなるでしょうが、未来の問題は未解決なままです。この競争がどの程度のものかは正確にはわかりませんが、私はギリギリのところまで来ているのではないかと思っています。政治の世界とは異なり、テクノロジーの世界では、個人の選択が最も重要になるかもしれません。私たちの世界の運命は、資本主義にとって安全な世界を作る自由の機械を構築したり、普及させたりする一人の人間の努力にかかっているのかもしれません。

そのため、私達の全てはパトリ・フリードマン(*(1976-)アメリカの自由主義者、無政府主義者、政治経済学の理論家。ソブリン海洋コロニーの作成を調査する非営利団体、The SeasteadingInstituteを設立。経済学者ミルトン・フリードマンの孫)の異例の試みの成功を願ってやみません。


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