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ワタリウム美術館「水の波紋95」

「水の波紋95」展から見えるものは私が思うに二つである。

①アーティストとアートの存在意義とは。
②コロナ化で「水の波紋95」展を再演する意味とは。

作品を紹介しながら上の二つについて書いていく。

1番最初の作品


見ただけで原爆投下された事実を語る異質な空気を纏った
「時の蘇生・柿の木プロジェクト1995」(宮島達男)
の作品。この作品が一番に目を惹いた。

木の幹に向かって赤いランプがランダムに光る。そして肝心の根には空間が広がっている。本物の生きた命はないはずなのに、なぜか鼓動を感じる。この不思議な魅力に一緒に観覧をしていた人たちも目を惹かれていた。
そして、「この作品は何かある。私はこう思う」というように作品を前にして皆考え込む。
この展覧会で最もといっていいほど存在感がある作品だった。
※写真撮影不可(ぜひ2021/06/06までに行かれて観覧ください)

過去に戻る為の空間演出

逆に、この展覧会で多くの人が気づいていなかった作品がある。それは、「リップル・バー」の天井に吊るされていたガラス瓶のランプである。
「リップル・バー」のためのメニュー(アンジェル・ベルガーラ・サンティアーゴ)
を照らすように天井に吊るされてあった。
ガラスビンのランプはアート空間ではごく普通のもののように作品の中に溶け込んでいた。そのため「リップル・バー」再現の演出に気づく人は少なかったように感じる。

疑問

ここまで読んでこういう疑問が湧いた人も多いだろう。

『目立つ目立たない。または、有名、有名ではないということがアート作品に必要なのか?』
『アートの存在意義とは?』

このコロナ化に多くの人々が物議を醸してきた「アートは必要不可欠」かどうかという問いの答えをこの展覧会では伝えていた。
それが下に続く「水の波紋95」のインタビューである。

アートの意味とは

4階の「水の波紋95」のインタビュー(ヤン・フート)では
アート作品とアーティストはどのような存在であるのか語っていた。

『アートとは、美しさを見つける行為である。
現実にそっと添い遂げ、現実の美しさ、肯定の仕方を提案している。』

このコロナ化でアートとは必要不可欠なのだろうかと、多く問われ議論になってきた。
しかし、この「水の波紋95」でのインタビューで既に答えは提案されていた。

「アートとは、現実世界に添い遂げ、隠れたアートを自分で見つける(気づく)ことに意味があるのだということ。そして、アーティストは、その現実の美しさを見つける提案をしているということ」

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ここまで読んでいただきありがとうございました。
この記事では、ワタリウム美術館「水の波紋」展の2階と4階の展示のごく一部をご紹介しました。
2階には、秘密基地のような写真映えする空間や
3階にはガラスと音の共演による美しい空間演出があります。
そして、4階にはインタビュー以外の昔の映像やこの展覧会の詳しい情報が見れます。

ぜひ6月6日までに訪れてみてください。


↓「概要」↓
まちへ出よう展 〜それは水の波紋から始まった〜
開催場所:ワタリウム美術館
開催日時:2021年2月6日(土) → 6月6日(日)

アーティスト名:ロイデン・ラビノヴィッチ/蔡國強/ホワン・ヨンピン/デイヴィッド・ハモンズ/ジェイソン・ローズ/フェデリコ・フージ/ミロスワフ・バウカ/宮島達男 (水の波紋展95より)松下徹/ソル・ルウィット/Chim↑Pom/キース・ヘリング/ヨーゼフ・ボイス/DIEGO/カールステン・ニコライ/ヴォルフガング・ライプ

主催者:ワタリウム美術館


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