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【創作小説】つぼみのままの白百合08

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 麻里亜と静の間に沈黙が訪れた。官能小説というものを麻里亜も知らないわけではない。それでも、目の前にいる静という一人の男性――それも自分といとこちがいの男――と性愛のイメージがあまりにも結び付かない。麻里亜の反応をみて、静はどこか慌てた様子で「あの」と言葉を継いだ。

「驚くよね、官能小説なんて。申し訳ない、忘れて」
静の言葉に、麻里亜はふと我にかえった。
「あ……ごめんなさい。たしかに少しだけ……驚いたものだから」
でも、と麻里亜は言葉を続けた。
「静さんの、その、お仕事は……」
数日前から麻里亜をとらえて離さない淫夢のことが頭をかすめた。
「その……男女の……そういうことを、文章で表現なさるということですよね」
静は解せない様子で麻里亜を見つめている。その目を見返すことができない。
「まぁ、そういうことだけど……」
「すごいなぁ」
麻里亜はぽつりと呟いた。

「どういうことかな」
静は小さく笑いながら、首をかしげてみせた。
「誰だってそういう経験は往々にしてあるだろう?」
息が詰まりそうだった。

「私は……ないんです」
そしてようやっと、麻里亜は言った。静の表情が変わる気配がした。
「そうか……人にはそれぞれペースがあるもんね……」
それに、と急いで静は言葉を重ねた。
「みんな経験していることが当たり前だと言いたいわけじゃないし、それが正しいって言いたいわけじゃないんだよ。どうか気を悪くしないでほしい」
申し訳なさそうな静の声を聞きながら、麻里亜はどこか悲しくなった。静の人柄は、会った瞬間の表情や言葉の端々からうかがい知れた。「官能小説家」という肩書には不似合いなほど誠実で純朴そうなこの男を困らせる自分が、みじめで悲しい。

「そうじゃなくて」
そうは言ってみたものの、この気持ちをうまく伝えられる自信はなかった。
「私、時々だけど……そういう類の夢を見ることがあって……。だから興味がないわけじゃないけど……どうしてだろう、私に魅力がないせいか、なんだか男の人とうまく行かなくて。それで……未だに経験がないんです」
目を上げると、静の視線とぶつかった。穏やかに凪いだ海のような深い色の瞳だった。
「麻里亜ちゃんは綺麗だよ」
そして静かにそう言った。
「僕は昔からそう思ってた。ほんの子どもの頃のことも、学生時代に時々麻里亜ちゃんが帰省してきた時のことも、僕は覚えてる。言葉が綺麗で、肌が綺麗で、とても魅力的だった」
静の瞳に飲まれたように、麻里亜は動けなかった。言葉を返すこともできない。麻里亜の身体の中で急速に熱が高まっていく。

「そろそろ」
熱を振り払うようにして、麻里亜は立ち上がった。
「お夕飯の準備をしないと」
表では夕立が降り始めていた。
「そのために私、雇われたんですから」
冗談めかせて言うと、静も小さく笑った。

(つづく)

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