運転しながら号泣した
昨日、地元から帰る車の中で
ふと最近聞いてないなぁと
とあるアーティストを全曲シャッフルで回した。
「amazarashi」というバンドだ。
高校3年かの時に、友達に勧められて聞いたのがきっかけになるから、かれこれ、7年ぐらいは聴き続けている。
初めて参加したライブ
「千分の一夜物語 スターライト」以降、
ツアーライブには必ず1回は参加し、独特の世界観に魅了されてきた。
(amazarashiのライブの魅力についてはまたいずれ)
ただ、そんなほぼamazarashi一筋な僕は、流行りの曲が分からなさすぎて、
知り合いとカラオケに行った時にそれしか歌う曲がなく、少し恥ずかしかったりもした。
そんな恥ずかしい想いから脱却すべく、ここ1年は
Apple Musicを契約をして、流行りの曲の勉強のために
「邦楽ヒッツ・トゥデイ」などの流行りの曲詰め合わせセットばかり聴いている。
お陰で最近の流行りの大体の曲は口ずさむぐらいは出来るようになった。
新型コロナ感染拡大による度重なる外出自粛でカラオケには全く行ってないが。
ただ、いくら毎日更新されるからと言っても、それをこう毎日聞いていれば流石に飽きる。
昨日は3時間の道中の潰す必要があったのだが、耳慣れしてしまって軽くなってしまった曲たちでは暇を潰しきれないと思い、数ヶ月ぶりにamazarashiを聴いてみることにした。
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あなたはamazarashiの曲を聞いたことはあるだろうか?
amazarashiの曲は、世界観が全体的に暗めなのだが、
絶望の中にも光があることを教えてくれるような、
どれだけつまづいてもやり直せると言ってくれるような、
そんな曲がたくさんある。
声もリズムも歌詞や世界観もかなり独特で
ファンにも変わった人が多いから、人によって好き嫌いは結構あるかもしれないが、
少なくとも僕はその独特さに魅了されている。
僕にとってamazarashiは、
「自己啓発本」であり、
「哲学」であり、
「応援歌」である。
傷ついている時、
ストレスを抱えている時、
プレッシャーに押しつぶされそうな時、
そんな状態になっていることにすら気づいていない時、
心の支えになってくれるような存在である。
久しぶりに聴くと、
傷だらけで立っていたことに気付かされ、
五臓六腑に染み渡るように癒される。
なんかベタ褒めばかりして
自分でも少し気持ちが悪いが
これは僕の嘘偽りない想いだ。
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amazarashiの曲はどれも良い曲ばかりだが、
数ある曲の中で僕が最も好きで、今回も泣かされたのは「独白」という詩だ。
「朗読演奏実験空間 新言語秩序」
という、初の武道館ライブで披露されたこの詩は、
「周囲に抑圧され、自ら抑圧し、囚われてきた
自分の想いを、自分の言葉を、もう一度取り戻せ」
というまさに自己啓発本さながらの内容だ。
僕が特に好きな部分は、少し長いが、
十万文字の歌詞たちを書き、
どん底から始めた十年の過去を持つ
amazarashiだから詠える詩であり、
言葉に溢れているにも関わらず、
監視し合い、揚げ足を取り、
話す一つ一つの言葉に気を使う
現代だからこそ人々の心に響く。
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期待されているにも関わらず、その期待に応えきれず、
また努力も足りていないと自覚しているからこそ、
自己嫌悪に陥ってしまっていた。
それを昨日この詩を聴いて、詠って、
泣いてしまったことで気づくことが出来た。
前に前にと進もうとすると、人は
視野が狭くなってしまいがちになる。
これは、人にも依るだろうけれど
少なくとも僕は追い詰められると周りが見えなくなる。
そしてそんな時ほど、追い詰められていることに気づくことも出来ていない。
無理をする必要はない。
小さな一歩も一歩には違いなく、
積み重なれば大きな一歩にも勝るのだから。
自分が自分に語りかける言葉はどんなだろうか。
自分を奮い立たせようとしたその言葉は、自分を傷つけてはいないだろうか。
自分を形作る言葉は、本当に自分自身から生まれた言葉なのだろうか。
自分の心を自分自身の手で押し殺してはいないか。
一度、立ち止まって考えることも大事だ。
言葉を取り戻せ。
そう思った。
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あとがき
今回はこれまでとは違った趣向で書いてみました。
今まで書いてきたモノよりも読みづらくなったように思う反面、自分の言葉に近くなったな、とも思います。
気づいたら2000字近いし。
色々試しながら、自分らしい内容で、自分らしい表現が出来れば良いなと思います。
これを読んでamazarashiが気になった方、
この機会にぜひ聞いてみてください。
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