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徒歩15分

自転車がパンクした。

ここ数週間、自転車という手段を失われた私は、どこに行くにもひたすら歩くしかない。

今住む実家から、最寄りの駅まできっかり徒歩15分かかる。

いつもは自転車で駅まで向かうことが多いが、今は徒歩しか術がないので、ひたすら大人しく15分で歩く。



何度ここを歩いて、自転車で走って、
何度この「徒歩15分」の距離を恨んだろうか。

小学校に通うために毎朝友達と「同じ電車に乗ろう」と待ち合わせをしていたから、毎日父親と家を出て歩いていた。

朝が弱くて、歩くのも走るのも遅い私は待ち合わせの電車に間に合わないことも多くて、何度ホームで絶望したかわからない。

ランドセルを背負って歩いて帰る途中、犬に襲われて、大泣きしながら他人の家のピンポンを押しまくったこともある。

重い荷物を持って歩くのが辛くて、トートバッグを投げながら歩いたこともある。家帰ったら、お気に入りの苺柄のお弁当箱がバキバキに割れていて悲しくなった。あの時「カバン持ちましょうか?」と声をかけてくれたお姉さんに素直にお願いすればよかった。

中学に入って、駅まで自転車で向かうようになってからも、転んで顎を切ったり、過呼吸で電車の中でぶっ倒れたり、とにかくあの「徒歩15分」の距離のせいで泣かされた思い出がありすぎる。

もういやだ、何度この「徒歩15分」で苦しまなければいけないんだ。

小さい頃から、私の心の奥でメラメラと「将来は絶対に駅近に住む」という野望が燃え続けている。



自転車がパンクした。

いつもは自転車で駅まで向かうことが多いが、今は徒歩しか術がないので、ひたすら大人しく15分で歩く。


自転車を修理するまでのここ数週間、改めて、歩いて通勤を繰り返すと、この距離がそんなに悪くないんじゃないか?と思えてきた。

事実、リモートワークで週3日しか外に出ない私にとって、この「徒歩15分」は、ものすごく良い運動習慣になっている。

もちろん暑いし寒いし疲れるけれど、この「徒歩15分」のおかげで保たれている健康と心の平穏は少なからずある。

歩く道も、とても静かで落ち着いていて、20年以上住んでいても居心地がいい。

ゆっくり空が見られるし、花も咲いてるし、シュークリームを大切そうに抱えて帰る人とすれちがって、幸せをお裾分けしてもらえたりもする。

「徒歩15分」、そんなに悪くないかもしれない。



そんなこんなで、最近私の中のメラメラが、チロチロくらいの火に弱まってきている。

きっと私の人生においてこれからも「徒歩15分」の呪いはずっと付きまとうんだろう。

この距離をプラスに捉えられる心と時間の余裕を持ち続けたいな、なんてことを、自転車の修理を先延ばしにしながら、呑気に考えている。

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