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私本義経記

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私独自の義経話となっております どうぞお手柔らかに #私の作品紹介
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本年大河…
知りたい
どうする

三谷は義経どう描く?
今では鵯越えも八艘跳びも弁慶との五条大橋出会いも、読本、講談ネタにすぎないと言われてる
そこはどうするんだろ

伝承に沿うのか
史実に合わせるのか

そこが気になってる


https://note.com/amisima7/n/n4a06fee0197b

私本藤原範頼 戦後の章

鎌倉 この年の十月、私はやっと鎌倉へ帰還した。 九月には戻れるはずだったが、海が荒れ、な…

私本藤原範頼 西行の章7

剣を探す 天叢雲剣。 別名草薙剣。 日本武尊御自ら振るったという宝剣だ。 どう海中に没した…

私本藤原範頼 西行の章6

壇ノ浦 元暦二年/寿永四年三月二十四日(1185年4月25日)。 長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口…

私本藤原範頼 西行の章5

犠牲 戦い済んだ屋島を臨む浜に、僧侶が来ていた。 読経を神妙に聞きながら、義経が、弁慶が…

私本藤原範頼 西行の章4

弟(てい)の勢 後白河の命を受けたか、一人勝手な抜け駆けか。 しかも義経の軍勢には、渡邉…

私本藤原範頼 西行の章3

なんと盛綱は土地の者を、浅瀬を教えてくれた気のいい若者を、その手で殺めていたのであった。 平氏に通報されそうになったとかでもなんでもない。 同じ源氏の御旗の者に、一切武勲を譲らぬためだったというのだ。 呆れた。 呆れてものが言えなかった。 唾棄したいほどの苦い感情。 それでも! それでもこの勝利は我らにとり、本当にありがたい一勝ではあったのだ。 残った平氏は逃げ散って、讃岐は屋島の方向へ、落ちて逃れていったという。 屋島こそは瀬戸内平氏の本陣であり最終拠点。 仮の御所さえ在る

私本藤原範頼 西行の章2

西行 海風に吹かれつつ思う。 これは平氏との最終決戦ではない。 抵抗をやめ、法皇に~実際は…

私本藤原範頼 西行の章1

終わりにちょこっと来ただけのくせに。 今そのように思っておるのだろう。 義経。 異母弟(お…

私本義経 猪武者と海の荒くれ

妻 妻は頼朝兄上の贈り物。 妻の従姉は範頼兄上の妻。 どちらも頼朝兄上の組んだ婚儀だ。 つ…

もう一つの後記~私本義経終えて~

どこにたどり着くか、考えもなく始めました。 義経と言えば鞍馬寺。 京の五条の橋の上。 その…

惨(ざん)の記⑤完結

堀家 突然大姫様がお見えになった。 藤内光澄に会いたいというのだ。 藤内光澄といえば、他な…

惨(ざん)の記④

六日(むゆか)の恋 とと様は、どうあってもにいさまを殺すという。 なぜじゃ。 妾をにいさま…

惨(ざん)の記③

変化 寿永二年(1183年)夏から秋は、何やらとても慌ただしかった。 父上が幾度も平氏に勝ち、最後は平氏を追い出して、京都の警護者になったのだ。 人質の立場が逆転するかもな。 ? おまえでなく、大様のご家族ご一同がおまえの逆人質。 ありえるかー、それ? このまま勝ち続けたらありえるって。 うはー。 そんな世情なら、頼朝の家の居心地も、悪くなってもおかしくないのだが、頼朝妻殿も家中の者たちも、吾につらく当たるでなく、日々は穏やかにすぎていた。 大とのわだかまりも