惨(ざん)の記④

六日(むゆか)の恋


とと様は、どうあってもにいさまを殺すという。
なぜじゃ。
妾をにいさまに引き合わせたとき、とと様はこうおっしゃった。

きょうからそなたはこの義高の嫁じゃ。
仲よう暮らすのじゃぞ。

そしてにいさまはうちにいるあいだ、たった一つのあやまちも起こしていない。
なのに殺すなんて間違ってる。
にいさまは、いい人なのに。
大人のつごうが変わっただけ。
そんなの、にいさまに関係ないではないか!
にいさまを、逃がそう。
そして妾も逃げよう。
山奥でも鄙でもいい。
二人ならきっと。


吾が逃げ出すにあたっては、幸氏が身代わりを引き受けてくれた。

郎党はそのためにおるのです。

にっこり笑って、吾の褥に入った。

くそー。
俺の寝床より柔らけえ、あったけえ。

普段なら噴き出すとこだが、吾はほとんど泣きそうだった。
友を身代わりに置いて行く。
父なら絶対しないことだ。
幸氏。
幸氏。
幸氏…


大の侍女が着付けてくれて、吾は女人のいでたちとなった。
大の侍女らに取り巻かれ、屋敷を抜け出るのにも成功した。
馬も大が用意してくれていて、吾は騎馬で鎌倉を脱したのだった。


望月重隆


この後のことは私、望月が語ろう。
幸氏の身代わりは、夜半に露見した。
鎌倉殿は大激怒され、堀親家ら軍兵を派遣、義高を討ち取るよう命じた。
この日が元暦元年四月二十一日。
あなたがたの暦でいう、1184年6月1日である。
逃走を手伝ったということで、海野幸氏は拘束された。

木曽残党に取り込まれての出奔か!?

私もともにきつく取り調べられたが、程なく釈放された。
御台所のお声掛かりだった。

大が逃がしたらしい。
自分も出て行く準備をしていた。
一緒に出たら目立つと思ったという。
堀には使いを出した。
無事に戻らせよと。
間に合えば、間に合えば良いが。

私は義高様の従者だ。
捜しに出るだけでも加担とみなされるだろう。
それでもじっとしてはおられなかった。
義高様を探しにゆけるよう、通行手形を書いてもらおうと、御台所の御部屋へ向かうところを、武者姿が一人(いちにん)、私を抜いていった。
不吉感じて小走る。

そんな!!

御台所の叫ぶようなお声で、どういう結末がついたかは察しがついた。

元暦元年四月二十六日。
あなたがたの暦でいう、1184年6月6日。
武蔵国で追手に捕らえられ、入間河原で親家の郎党・藤内光澄なる者に討たれたという。
享年十二才であった。



妾が逃したから逝ったのじゃ。
妾が逃さなければ、逝かなかったのか?
だとしたら、あにさま逝かせたのは大じゃ。
大じゃ!!

強く泣きじゃくる大の、両肩を掴んで瞳覗き込み、強く、強く言うた。

そのようなこと血迷うても言うでない!
かの者は人質であった。
この地を無断で離れれば死すことになると、本人が一番ようわかっておった。
そなたが算段してくれたゆえ、応じたまでじゃ。
つまり。
そなたがその手で殺したのじゃ。
わかるか!?

娘は瞳こぼれ落ちそうに眼見開いていたが、やがてぶるぶると震え出した。
だが、妾は許す気にはなれなかった。
齢六才とはいえ、武将の娘じゃ。
この世がいかに惨いものかは常々言うて聞かせてきたつもりじゃった。
なのにこのような仕儀と相成った。
武家の娘はな、自分の命、命すらも、自分のものではないのだ。
まして縁付いた相手の命…
なぜ軽々しいことをした!!

娘はもう泣いていなかった。
ただただ見開いた眼に、闇を宿していた。


それでも地球は回っている