守られるものは何か

気づいたら、少しnoteから遠ざかっていた。
とにかく慌ただしい日々で、
それをレスポンスやアクションが遅い理由にしてはならないと承知しているけど、そんな余裕は気持ち的にも時間的にも無かった。

そのあとは、分かりやすいほど、
まぁ状況通りというか筋書きどおりで
体と心にいっぺんに限界が来た。

それでも自分ではまだ行ける、
やらなきゃいけないと強く思ったが、
もう一人の自分のような存在というか、
別物の意思決定機関が働き、
それをよしとしなかった。

自分と自分が拮抗する状況に違和感が拭えず、
客観的に見てどうかが知りたい一心で
クリニックに行ってみた。

まだあなた大丈夫よ、という取り越し苦労を聞いて
帰ってくる、それだけをイメージしていた私の期待を
目の前の医師はあっさりと覆し、
非常に危ないところの一歩前、という
驚くべき診断結果を伝えてきた。

センセーショナルというか
驚きすぎて自分事には感じられず、
キョトンとしたまま会計を待った。

どうしよう。
仕事を休まねばならなくなってしまった。
穴を開けてしまうし、ただでさえ皆いっぱいなのに、
さらに負荷が掛かってしまう。
それも上司の尻拭いなんて絶対嫌だろうなぁ。

ぞっとする現実から目を背けたいけど
自分を守るか、守ってもらえるか分からないしボロ雑巾のように捨てられるだけかもしれないけど仕事はとりあえず続けるか。
天秤にかける選択肢としては、かなり難しいものだった。

でも妙にスコーンと降りてきて
決意した瞬間があった。

許容量を遥かに越えた私自身のパフォーマンスは明らかに見事に低下していて生産性は限りなく低い。

いることで
中途半端に関わることで
軋轢とミスしか生まれないのではないか。

そしてもし廃人のようになったら
会社は法的に「会社としてとるべき行動」は取ったとしても、それで終わり。
絞りかすか、燃えかすの私が残るだけ。
そうなったらもとに戻れるまで一体どのくらいの時間がかかるのだろう。

だめだ、これ以上追い込んだら。
まだ行けるかもしれないけど、
自分の知らない世界が確実に待っていて
抜け出しかたを知らないぞ。

限界は自分自身で作ってる、ぶち破れとか
よく歌詞で見るけど、
そんなの何度とぶち破ってきた私にとって
これはダメだ、破ってはならぬという壁だった。

わたしは上司に休ませて欲しいと申し出た。

もちろんここに至るまで
SOSを大なり小なり出して
相談もしてきた。

その上司に
すみません、もう無理です。
と。

あの表情が何を意味していたのかは
私には理解が難しかったけど
正解かどうかは別としても、
私の主観では
まじか、じゃあどうしようか…と山盛りの業務の心配をするように見えた。

何度もお詫びを告げて、
パタリと休んだ。

1ヶ月半の人間活動をした。

なに、人間活動って思われるかな。

健康で文化的な生活。
仕事しかしてこず、
他のすべてをどうでもいいくらいに
蔑ろにしてきた私にとっては
憧れの人間活動だった。

結果的には1ヶ月半の休みののち、
復帰して2週間が経ち、今日に至る。

不思議なもので、
産業医からの提言も
私からの希望も
組織改編のタイミングで復帰するから異動を、
というものだったが、
現職復帰となった。

復帰してまだまだ私の残務を引き取り
それに追われている人たちが
目と鼻の先にいる

そしてその目は冷たい

そうなることは容易に想像出来たけど
それでも現職復帰の決定は、
会社から「お前の尻拭いの様子をちゃんとその目で見ろ」と言われている気がしてならなかった。

逃げるつもりもなかったが。

受刑者として刑期を過ごしているような気分になりかけているところを、そんなんじゃ新しいチームの部下に失礼だと襟を正して日々過ごしている。

もうなにも目指さないし、
なにも望まない。
無の境地が一番楽でいい。