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私になりたかった私 #11 「亮」

私になりたかった私 #1 「プロローグ」はこちらから。

私になりたかった私 #10 「麗」はこちらから。

     ☆亮☆

 亮は麗がトイレへ向かうのを見送り、一気にビールを飲み干した。
 麗は一体何者なのだろう。
 ずっと考えてきた疑問だったが、確かめずにはいられないところまできていた。
 亮は麗の仕事も、家も、何も知らなかった。
 教えてもらっているのは麗のスマートフォンの連絡先だけだ。

 亮が連絡すれば麗はいつでもどこでも飛んできてくれた。そしてすぐに抱かせてくれた。
 麗を抱くと、亮は一時嫌なことを忘れることができた。
 まるで麻薬みたいな女だ。
 くせになり、気付くとそれなしでは生きていけなくなっている。
 亮はもはや麗なしでやっていく自信がなかった。
 けれどその反面、付き合えば付き合うほど、麗のことが分からなくなっていた。

 なぜ麗は自分のことを教えてくれないのか。
 なぜ麗は自分と付き合っているのか。
 なぜ麗はあゆみにそっくりなのか。 

 もしかしたら自分は大きな間違いを犯しているのではないか? と不安になった。
 亮は隣の席の上に置いてある麗のバッグに目を留めた。
 バックの口は大きく開いている。
 麗はまだトイレから帰って来る気配がない。

 亮はそっと麗のバッグの中身を取り出した。
 白い革製の財布を開けると、万札が2枚入っていた。
 けれどほかには何も入っていない。レシート1枚、入っていないのだ。
 
 続いて亮は手帳を手に取る。
 ページを繰ってみるが、どのページにも何も書かれていない。
 個人情報となりそうなものが一切ないのだ。これは麗が意図的にしていることなのか? 誰かに見られたら困ることでもあるのか?

 亮は手帳を戻し、鞄の中のスマートフォンを掴んだ。
「きゃ、すみません」
 麗の声がして、亮は驚いてスマートフォンを床に落とした。
 慌てて拾い、トイレの方を見ると、麗が酔って客にぶつかっていた。
 大丈夫、大丈夫と笑うおじさんに笑顔を振りまいている。

 スマートフォンをバッグの中に投げ入れ、亮は白々しくメニューを広げた。
「酔った! 帰る!」
 戻って来るなり、麗は言った。
「え?」
 亮が驚いて顔を上げると、
「お勘定、お勘定!」
 麗は勢いよく鞄を肩にかけ、ふらふらと出口へ向かった。

 もしかして気付かれたか? 亮は慌てて麗の後を追った。
 勘定を済ませ表に出ると、麗は亮を待つこともなく、大通りへと歩いて行った。 
 すぐに手を上げ、タクシーを止めた。
 雨が降り始めていた。

「やっぱ、ひとりで帰んの?」
 タクシーに乗り込む麗に亮は聞いた。
「だって気分悪いんだもん。すねないで」
 亮の鼻先でドアが閉まった。

 笑顔で手を振る麗の乗ったタクシーが走り去ると、亮は慌てて別のタクシーを止めた。
「あのタクシーについて行ってください」
 タクシーに乗り込んだ亮は、麗のタクシーを指さし、運転手に言った。

     ☆

 亮は愕然としていた。
 麗の車があゆみのアパートの前に停車したからだ。
「止まってください!」
 ルームミラーで自分のことを怪訝そうに見ている運転手の視線を感じながらも、亮は雨粒が付いた窓ガラスから前方にある麗のタクシーを監視した。

 なんで。
 麗は何者なんだ?
 まさか麗とあゆみは同一人物なのか?

 ひどく混乱していると、麗がタクシーを降りるのが見えた。そしてあゆみのアパートの向かいにあるアパートの外階段を上り始めた。
 亮は慌てて支払いを済ませ、釣りを断ってタクシーを降りた。
 塀伝いに急いで麗のアパートの階段に近づいた。
 上を窺うと、麗が部屋に入るのが見えた。
 右から1、2、3番目のドアだ。

 雨は急に激しさを増してきた。
 亮は雨に濡れながら、階段を静かに上った。
 それでも古く錆びた階段はぎりぎりと鳴った。
 亮は足音を立てないように気を付けながら、麗の部屋の前までやって来た。

「うそだろ」
 その部屋があゆみの部屋の真正面に位置することを確認すると、亮は呟いた。
 玄関の横のガラス窓から光が漏れている。窓が少し開いている。 
 あたりに人がいないことを確認すると、亮はガラス窓から影が見えないように屈んだ。あちこちから雨が降りこみ、下は水たまりのようになっていて、全身ずぶ濡れになった。

 亮は怯えていた。このまま回れ右して帰りたかった。
 つい数十分前まで麗の素性を知りたがっていた自分のことを後悔した。
 世の中には知らない方が幸せなことがあるのだ。
 それでも、あゆみのためにもここで逃げるわけにはいかなかった。
 これは自分が確認しないといけないことなのだ。

 髪から滴り顔を流れる雨粒を手で拭き、亮は下からそっと窓の中を覗きこんだ。
 台所が見える。
 麗の姿はない。
 奥の方に部屋の広さには不似合いな大きめのテレビが見えた。

 あれ……この部屋……似てる。
 そう思った瞬間、下からにょきっと麗の顔が飛び出した。
 亮の目の前に麗の片目が現れ、まばたきした。
 亮は声にならない悲鳴を上げ、尻餅をついた。

 と、麗の部屋のドアが少し開いた。
 亮は目を大きく見開き、そちらを見た。
「どうぞ……」
 ドアの隙間から笑顔の麗が見えた。

 震える足で亮はなんとか立ち上がった。
 そして恐る恐る部屋に入っていった。


(つづく)私になりたかった私 #12 「亮」はこちらから。


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