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『日本人』とは何か?

2011年3月11日。

あなたはどこで、何をしていましたか?

恐らく、健全な(あるいは、多少不健全であっても)日本人であれば、その答えを持っているはずです。

2011年3月11日。

僕は青森県の十和田市にいました。

それは何の特徴もない、平凡な一日のはずでした。

僕はアパートで、罪のないワイドショーを見ながら、遅めの昼食を取った後、「めんどくさいなぁ」と呟きながら、午後の仕事に向かっているところでした。

十和田市の住宅街を歩いていると、電線が大きく揺れるのを認めて、「今日はずいぶん風が強いんだな」と、今にして思えば、呑気なことを考えていました。

その直後に、体験したことのないような大きな揺れがやってきて。




それが東日本大震災だったのです。

数日間の停電の後に、再び点けたテレビの中では、世界がすっかり変わっていました。

大きな地震が終わった後に、地面が揺れている感覚が残ることがあります。

僕たちが安寧のうちに立っている、この地面は今も微かに揺れているのかもしれません。

僕たち日本人は、大きな地震と次の地震の合間に、短い夢を見ていただけなのかもしれません。

「日本人とは何か?」という問いの答えは、もはや肌の色でも、国籍でもありません。

そもそも、天皇の出自を考えれば、「単一民族」だの、「純血主義」だのというのは、一種のファンタジーです。

「日本人とは何か?」

それは「民族的な悲しい記憶とその感情」を共有できるかどうか、ということだと思います。

あの日、岬に響いた遣瀬ない声が、想像できるかどうか。

僕がもし、「日本人検定第一級」の出題者であるとするならば(もし、そんなものがあるとするならば)、その第一問目は決まっています。

「2011年3月11日。あなたはどこで、何をしていましたか?」

【附記】
ひとりの日本人として、ドナルド・キーン氏の御冥福を心よりお祈りいたします。

***

さて、今日から福島旅行です。

福島の人たちも「復興」「支援」という言葉に、食傷気味らしいので、ここは呆けたように、ただただ楽しんできたいと思います。

美味しいものいっぱい食べたいなぁ。
待っててね、福島。

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